万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

481.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の五)

沈痾自哀文(八の五)の訳文

「<志恠記(しかいき)に

「広平の前太守、北海の人徐玄方の娘が年十八で死んだ。その霊が馮馬子(ひょうまし)という若者に「限たところ、八十余歳の天寿になっている。それなのに早々と悪魔に殺されて四年を経た」と言った。こうして馮馬子に逢い、娘は生き返ることができた」とあるのは、大不幸の一例。

仏典には「人間界に住む者は寿命百二十歳」とある。

謹んで考えるに、この命数は必ずしもそれ以上越えられないものでもない。

だから、寿延経には「僧侶、名は難達という人がいた。寿命が尽きようとした時に、仏の許に参って長寿を乞うたところ、十八年生き延びた」とある。

ひたすら善行を積む者は天地と共に長く生きられる。人が天寿を充たすか夭折するかは善悪の業因による報いの招くところで、その報いによる長寿と夭折との要素の相殺によって人の命は生録の半ばとなるわけである。

人は多くまだその半ばにも達せずに忽ちに死んでしまう。だから「まだ半ばにも及ばない」というのである。

任徴君(じんちょうくん)は「病いは口から入る、だから君子は飲食を慎む」と言っている。この理によって言えば、人が病気にかかるのは必ずしも悪魔によるものではない。

いったい、医術の諸家の広範な説、飲食禁忌に関する手厚い教訓、知っていて行いがたい人間の愚かさ、この三つはとくと目にも見、耳にも聞いて、年久しい。

抱朴子には「人は誰も自分の死ぬ日がいつであるかを知らない。だから憂えないだけだ。もし本当に羽の生えた仙人になって寿命を延ばすてだてを知ることができたならば、誰も延命に精を出すだろう」とある。

こうしたことから見て、私の病気はおそらく飲食の禍いが招いたもので、自分の手ではもはや治せないかもしれない、ということを思い知ったのである。>」

引用した本です。

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奈良の旅の思い出の品

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では、今日はこの辺で。