万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

479.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の三)

沈痾自哀文(八の三)の訳文

「私は、身はもはや俗事に深入りしているばかりか、心も俗塵になずんでいるので、禍いの潜んでいる所や祟りの隠れている所を知ろうと思い、占師の門や祈禱師の室(へや)をすべて訪れた。たとえ効果があるにしろ、またないにしろ、その教えに従って、いつも幣帛(へいはく)を奉り、必ず祈りを捧げたい。しかし苦痛は募るばかりで、少しもよくならない。聞くところでは、「昔は名医がたくさんいて、人々の病気を治した。中でも、楡柎(ゆふ)・扁鵲(へんしゃく)・華他・秦の和(か)・緩・葛稚川(かつらせん)・陶隠居・張仲景などは、皆かつてこの世にいた名医で、どんな病気でも直した」という<扁鵲は姓秦、字は越人、渤海郡の人。胸を切り開き心臓を取り出してその位置を換え、霊薬を投じたところ、患者はすぐに目を覚まし、いつもと変りがなかった。華他は字は元化、沛国の譙の人。病気が内部で固まって重症に悩む者があれば、腹を切り開いて病根を除き、あと縫い合わせて膏薬をすりこんでおくと、患者は四、五日で治った>。このような名医を今さら望んでみても、とうていかなうものではあるまい。だが、もし名医や霊薬にめぐり逢えたら、何とかして、五臓を切り開いてもろもろの病気を探し求め、内臓の奥深く膏や肓までも尋ねて行き<肓は横隔膜で、心臓の下を膏という。これを手当しても効果はなく、これに鍼を通しても届かないし、薬も効かない>、病魔の潜んでいる所を見極めたいと、乞い願うものである<晋の景公が病んだ時に、秦の医者緩が、膏肓の間が痛めつけられて治らないと診断して国に帰ったのは鬼に殺されたものである、ということをいう>。」

引用した本です。

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では、今日はこの辺で。