万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

472.巻五・886~891:熊疑のためにその志を述ぶる歌に敬和する六首併せて序 筑前国司山上憶良(三の一:序)

序の訳文

「大伴君熊疑は、肥後の国益城(ましき)の郡(こおり)の人である。年十八歳、天平三年の六月十七日に、相撲の部領使(ことりづかい)の国司官位姓名某(なにがし)の従者となり、奈良の都に向かった。しかし天運に恵まれず、苦しい旅道の半ばで病にかかり、安芸の佐伯の郡高庭の駅馬(うまや)で亡くなった。

臨終の時に、熊疑が大いに嘆息して言うには、「伝え聞くところでは、「地水火風の四大が仮に集まって成った人の身は滅びやすく、水の泡のようなはかない人の命はいつまでも留めることがむずかしい」とかいうことだ。それ故、千年に一度の聖人も世を去り、百年に一度の賢人も世に留まらない。まして凡愚下賤の者はどうしてこの無常から逃れることができよう。ただし、私には老いた両親があり、ともにあばらやに住んでいらっしゃる。この私を待ち焦がれて日を過ごされたならば、きっと心も破れるほどの悲しみを抱かれようし、この私を待ち望んで約束の時に違ったならば、きっと眼もつぶれるほどに涙を流されよう。悲しいことよ我が父上、痛ましいことよ我が母上。この我が身が死出の道に旅立つことは気にはしない。ただただ、両親が生きてこの世に苦しまれることだけが悲しくてならない。今日、長いお別れを告げてしまったならば、いつの世にまたお逢いすることができようか」と。

そう嘆いて熊疑は歌六首を作って死んだ。その歌。」

なお、六首は熊疑になりきって詠んだもの。

次回の記載(473)は、その歌の最初886番歌(三の二)です。

薬師寺の画像を貼り付けます。

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引用した本です。

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では、今日はこの辺で。

室温は18℃ですが、すこし着込んでいるので寒くないです。