万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

471.巻五・884・885:大伴君熊疑(おおとものきみくまごり)が歌二首 大典麻田陽春作

大伴君熊疑:次回記載予定の憶良作の序に説明があります。

大典:大宰府の文書を掌る官。826番歌参照。

麻田陽春:569~570番にも歌があります。

884番歌

訳文

「故郷を遠く離れた長い道中なのに、こんな所で、心も暗く今日この命を終えなければならないのか。親たちに別れの言葉をかけることもなく」

書き下し文

「国遠き 道の長手を おほほしく 今日や過ぎなむ 言どひもなく」

熊疑は行路で死んだ。以下891番歌まで、羈旅歌の型である「家」と「旅」との対比で歌われます。

885番歌

訳文

「朝露のように消えやすい我が命ではあるが、他国では死ぬに死にきれない。一目親に逢いたくて」

書き下し文

「朝露の 消やすき我が身 他国(ひとくに)に 過ぎかてぬかも 親の目を欲(ほ)り」

朝露の:消やすきの枕詞。

熊疑:肥後の人だが、安芸で死んだ。古代人は異郷での死を特に辛いものとした。

引用した本です。

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高校で日本史を学び、「白村江」、「新羅」、「百済」の読みをどうおぼえましたか。

「はくすきのえ」、「しらぎ」、「くだら」と読んでいましたね。

現在、日本史の研究者は「はくそんこう」、「しんら」、「ひゃくさい」と読むようになっています。

最近読んだ下の本でも「はくそんこう」、「しんら」、「ひゃくさい」となっています。

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小中高校と習った歴史的事実と思われることが、今では大きく異なっているようです。

そんなことをたどるのも面白いですね。

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では、今日はこの辺で。