万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

459.巻五・都の宣から大宰府の大伴旅人に宛てた返書の訳文

「宣(よろし)申し上げます。

忝(かたじけな)くも四月六日付けの御書簡を拝受いたしました。

謹んで文箱を開き、芳章を拝読致しました。心が晴々して郎らかなことは、泰初が日月を懐にした気持そのままであり、卑しい思いが消えてさわやかなことは、楽広が晴天を仰いだ感じとまったく違いませんでした。

辺境の砦に身をさらし、在りし昔を懐かしんでは心を痛め、年月は去って帰らず、若き日を偲んでは涙を落とす、と仰せになっていますが、しかしこういう場合でも、達人は物事の移ろいに安んじ、君子は独りあって憂えがないと申します。

伏してお願い申し上げます。

朝には、雉までなつけたという魯恭の徳化を敷き、暮には、亀を放したという孔愉の仁術を施し、かつ漢の張敝や趙広漢の百代の後までも残し、仙人赤松子や王子喬のように千年の長寿を保たれますことを。なお、お示し下さった、梅苑の芳席でたくさんのすぐれた方々が歌を詠まれ、松浦の美しい淵で仙女と贈答を交わされたその作は、孔子と門弟たちとが講壇でおのおの志を述べ作にも劣らず、また曹植が洛川で神女に逢った篇かと思われるほどです。ただ耽読し吟唱して、感謝し喜んでおります。

宣があなた様を慕う真心、それは犬や馬が主人を慕う心より勝り、御徳を仰ぐ心、それは冬葵がいつも日を仰いでいるのと同じであります。しかしながら、青海は互いの住む地を分ち、白雲は幾重にも空を隔てています。いたずらに恋い慕う心を重ねるばかりで、どのようにして苦しみを慰めてよいかすべもありません。時あたかも初秋七月、佳日七日の節句でございます。伏して願いますことは、数々の天佑があなた様の上に日に新たにあることだけです。

今、相撲の部領使に託して、謹んでこの紙片を差し上げます。

                                宣謹啓 不次」

唐招提寺の続きの画像を貼り付けます。

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では、今日はこの辺で。