447.巻五・815~846:梅花の歌三十二首あわせて序(六の一:序と二首)
序の前に、285の392番歌番に記載した「万葉時代の梅」を読んでみてください。
では、序の訳文
「天平二年正月十三日、帥の老の邸宅に集まって、宴会をくりひろげた。
折しも、初春の佳き月で、気は清く澄みわたり風はやわらかにそよいでいる。
梅は佳人の鏡前の白粉(おしろい)のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香のように匂っている。
そればかりか、明方の峰には雲が往き来して、松は雲の薄絹をまとって蓋(きぬがさ)をさしかけたようであり、夕方の山洞には霧が湧き起こり、鳥は霧の帳に閉じ込められながら林に飛び交うている。
庭には春生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋来た雁が帰って行く。
そこで一同、天を屋根とし地を座席とし、膝を近づけて盃をめぐらせる。
一座の者みな恍惚として言を忘れ、雲霞の彼方に向かって胸襟を開く。
心は淡々としてただ自在、思いは快然としてただ満ち足りている。
ああ、文筆によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。
漢詩にも落梅の作がある。
昔も今も何の違いがあろうぞ。
さあ、この園梅を題として、しばし倭の歌を詠むがよい」
815番歌
訳文
「正月になり春がやってきたらなら、毎年このように梅の花を迎えて、楽しみの限りを尽くそう」
書き下し文
「正月(むつき)立ち 春の来らば かくしこそ 梅を招(を)きつつ 楽しき終(を)へめ」大弐紀卿
816番歌
訳文
「梅の花よ、今咲いているように散り過ぎることなく、この我らの園にずっと咲き続けてほしい」
書き下し文
「梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず 我が家の園に ありこせぬかも」少弐小野大夫
前歌を承けて、眼前の梅の不変を願っている。
我が家の園:旅人邸宅の庭。以下に出る「我が園」「我がやど」なども同様。「園梅」は当日の共通の詠題で、一同はそれを自分たちの庭のものと見なした。
引用した本です。
では、長谷寺の画像を貼り付けます。
では、今日はこの辺で。