436.巻四・786~792:大伴宿禰家持、藤原朝臣久須麻呂(くずまろ)の報へ贈る歌三首、また、家持、藤原朝臣久須麻呂に贈る歌二首、藤原朝臣久須麻呂、来報(こた)ふる歌二首
報へ:歌の形でない働きかけに答えた意か。769番歌も同様か。
藤原朝臣久須麻呂:藤原仲麻呂の次男。家持の女婿になったらしい。父の謀反に連座して殺された。
786番歌
訳文
「春雨は小止みなく降り続くのに、梅がまだ咲かないのは、よほど木が若いからでしょうか」
書き下し文
「春の雨は いやしき降るに 梅の花 いまだ咲かなく いと若みかも」
雪の中でも咲く梅が、春雨が降るほど暖かくなっても咲かないといぶかる歌。
以下七首は家持の娘に対する久須麻呂の妻どいを踏まえたものらしい。この歌は「春雨」を男、「梅」を娘に譬えている。
いやしき降るに:男がしきりに誘いかけることの譬えた。
いまだ咲かなく:娘がまだ幼くて誘いに応じないことの譬え。
787番歌
訳文
「まるで夢のような気がいたします。懐かしいあなたのお使いがしげしげと通って来るので」
書き下し文
「夢のごと 思ほゆるかも はしきやし 君が使の 数多(まね)く通へば」
幼い娘に対する妻どいを父親として謝する歌。
はしきやし:138番歌参照、形容詞「愛(は)し」に感動の「やし」がついた形。
788番歌
訳文
「まだうら若くてなかなか花の咲かない梅を植えて、その梅のことを何度も尋ねてよこす人の便りを見るにつけ、気が気ではありません」
書き下し文
「うら若み 花咲きかたき 梅を植ゑて 人の言繁み 思ひぞ我がする」786番歌と同趣の譬喩歌。
人の言:久須麻呂からの便りをさす。
789番歌
訳文
「申しわけなさに何となく心がもやもやと晴れない気持ちです。春霞のたなびくこの季節にお便りをいただくので」書き下し文
「心ぐく 思ほゆるかも 春霞 たなびく時に 言の通へば」
787番歌と同趣の歌で、ここではすぐ期待に添えないことを詫びる気持ちが強く出ている。
心ぐく:「春霞たなびく」に対する心情を表す語としてよく用いられる。735番歌参照。心が晴れずせつない意。
790番歌
訳文
「春風の吹いてくるように、きちんとしたお言葉を寄せてくださったら、時機を見はからって、今すぐでなくてもそのうち、お心に添うようにいたしましょう」
書き下し文
「春風の 音にし出でなば ありさりて 今ならずとも 君がまにまに」
相手の意思を確かめたい気持ちを婉曲に表した歌。
春風の:音にし出でなばの枕詞。788番歌の梅の開花を誘うものとして春風を持ち出したものであろう。
音にし出でば:はっきりした意思表示が欲しいという意味か。
ありさりて:「ありしありて」の約・ありつつもと同じく、現在の状況を変えないで時の経過を待つことをいう。
791番歌
訳文
「奥山の岩陰にひっそり生えた菅の根のように、私とて心の奥底から思っていないことがあるものですか」
書き下し文
「奥山の 岩蔭に生ふる 菅の根の ねもころ我れも 相思はずあれや」
前歌に応じて意思を明確に表示した歌。
菅の根の:心の底深く、の意を表す恋歌的表現。同様の表現が397番歌にある。
792番歌
訳文
「梅の若木は春雨が降るのをもっと待つものであるらしい。わが家の梅の若木もまだ固いつぼみのままです」
書き下し文
「春雨を 待つとにしあらし 我がやどの 若木の梅も いまだふふめり」
786番歌の譬喩を承け、それを現実の梅のさまに照らして、790番歌の申し出に同意した歌。
ふふめり:「ふふむ」はつぼみのままでまだ開かない状態にあるこという語。
この歌が巻四の最後です。次回から巻五に入ります。
巻五は793番歌から926番歌までで、部立
は雑歌です。
長歌十首、短歌百四首の計百十四首です。
主な作者は、大伴旅人、山上憶良、藤原房前、小野老、笠沙弥、大伴百代、吉田宣、三島王、麻田陽春です。
引用した本です。
夏らしい気温になるかな。
では、今日はこの辺で。