427.巻四・756~759:大伴の田村家の大嬢、妹坂上大嬢に贈る歌四首
大伴の:759番歌の左注(後で記載します)、集中の九首は、すべて妹の坂上大嬢に贈ったもの。
756番歌
訳文
「離れた所にいて恋しがるのは苦しいものです。あなたとひっきりなしに逢えるよう、なんとか考えて下さいな」
書き下し文
「外に居て 恋ふれば苦し 我妹子を 継ぎて相見む 事計りせよ」
以下四首は女性間の相聞であるが、逢えないことを嘆く恋歌の形にその心情を託している。
事計り:計画を練り手段を講じること。
757番歌
訳文
「遠くにいらっしゃるのなら、あきらめてわびしく過ごせもしましょうが、この里のすぐ近くにおいでと聞きながら逢えないとはもどかしいことです」
書き下し文
「遠くあらば わびてもあらむを 里近く ありと聞きつつ 見ぬがすべなき」
610番歌と正反対の立場の気持ちである。「遠」と「近」とはこのころの恋情表現における固定的な素材であった。
758番歌
訳文
「白雲のたなびく山が聳え立つように、私が高々と爪立ちする思いで逢いたいと思っているあなたなのに、なんとか逢うすべはないものでしょうか」
書き下し文
「白雲の たなびく山の 高々に 我が思ふ妹を 見むよしもがも」
高々に:待ち望む意を表す。普通は待つにかかり、思ふにかかるのはここ一例のみ。
759番歌
訳文
「いったいいつになったら、あなたをこのむぐらの茂るむさ苦しい家にお迎えできましょうか」
書き下し文
「いかならむ 時にか妹を 葎生(むぐらふ)の 汚なき宿に 入れいませてむ」
(左注)右、田村大嬢、坂上大嬢は、ともにこれ、右大弁大伴宿禰奈麻呂卿が娘なり。卿、田村の里に居れば、号(なづ)けて田村大嬢といふ。ただし妹坂上大嬢は、母、坂上の里に居る。よりて坂上大嬢といふ。時に姉妹、諮問(とぶら)ふに歌をもちて贈答す。
一連の歌の結びとして、ぜひ一度来訪してほしい旨を告げる挨拶の歌。
葎生(むぐらふ):むぐらの茂った場所。荒れ果てた庭や家を表し、ここでは謙虚の辞として用いられている。「むぐら」は一面に生い茂り、物にまとわりつく蔓性の植物。
入れいませてむ:家に迎い入れて座につかせたい、意。
田村:奈良に近い地。佐保の西、法華寺東辺とう。
引用した本です。
東大寺の裏へ
今朝は晴れです。
では、今日はこの辺で。