426.巻四・741~755:さらに大伴宿禰家持、坂上大嬢に贈る歌十五首(三の三:751~755番歌:第三群)
第三群:以下五首は、逢って後の恋を主題とする。
第一群の結び745番歌の「朝夕に見む時」は、第三群の伏線をなす。
751番歌
訳文
「逢ってから何日もたってはいないのに、こんなにも気違いじみて恋しく思われるとは・・・」
書き下し文
「相見ては 幾日も経ぬを ここだくも くるひにくるひ 思ほゆるかも」
くるひにくるひ:「くるふ」を重ねて正常な判断力を喪失しているさまを強調したもの。この表現には、かえって自己を客観的に眺めた冷静さが認められる。
752番歌
訳文
「こんなにも終始、あなたの姿が目前(めさき)にちらつくほど思われてならないなら、この先どうしたらよかろう。人目が多くてなかなか逢えないのに」
書き下し文
「かくばかり 面影にのみ 思ほえば いかにかもせむ 人目繁くて」
逢えば逢ったでまた、思いの高ぶりが抑えられないと訴えた歌。
748番歌とは逆に「人目」を恐れているのは、逢ったがゆえに心のゆとりが生じたという反面を示す。
753番歌
訳文
「逢ったならしばらくは恋しい気持も安らぐかと思っていたけれど、それどころかいっそう恋しさは募るばかりです」
書き下し文
「相見ては しましも恋は なぎむかと 思へどいよよ 恋ひまさりけり」
なぐむ:「なぐ」は波立ち高ぶった状態が治まる意。
754番歌
訳文
「夜がほのぼの明けそめるころ、別れて私が出てくると、あなたが名残惜しそうに思い沈んでいた姿が目の前にちらついて見えます」
書き下し文
「夜のほどろ 我が出てて来れば 我妹子が 思へりしくし 面影に見ゆ」
心を残して立ち去る後朝(きぬぎぬ)の心情を叙した歌。
夜のほどろ:空が白みはじめる時間。
「ほどろ」は密なるものが拡散して粗になるさまをいうか。
思へりしくし:「しく」は過去の助動詞「き」のク語法。
755番歌
訳文
「夜がほのぼの明けそめるころ、別れを告げて立ち去る朝が重なるにつけて、私の胸は名残惜しさに燃え上り、はりさけそうです」
書き下し文
「夜のほどろ 出でつつ来(く)らく たび数多(まね)く なれば我が胸 切り焼くごとし」
前歌の語を繰り返し、逢うほどに恋心はなおも燃え上るばかりだと述べて第三群をまとめ、一方、「遊仙窟」を踏まえることで第一群に応じ、全体に物語的な色合を添える形で十五首をしめくくっている。
切り焼く:「遊仙窟」の「イマダカツテ炭ヲ飲マネドモ腸(はらわた)熱キコト焼クガゴトシ。刃ヲ呑ムト憶ハザレド腹穿ツコト割クニ似タリ」による表現。
引用した本です。
おだやかな朝を迎えました。
では、二月堂の画像を貼り付けます。
では、今日はこの辺で。