万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

412.巻四・709:豊前(とよのみちのくち)の国の娘子、大宅女(おほやけめ)が歌一首

犬養 孝氏の本を引用します。

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47 路たづたづし(709番歌書き下し文)

「夕闇は 路たづたづし 月待ちて 行かせ吾背子(わかせこ) その間にも見む」

「この歌は、、豊前の国、今の福岡県ですね。豊前の国大宅女という人の歌なんです。

夕闇というと、月の出るまでの宵闇ですね。宵闇は道が危なっかしいわよ、「月待ちて」月が出てから、お帰りなさいよ、ねえあなた。

「その間にも見む」そのわずかな間でもお会いしていましょう。まあ座ってくださいという心持ちですね。

この歌大変すばらしい歌だと思う。だって恋人を帰したくないでしょう。訪ねて来た人を、宵闇は危なっかしいわよ、と止めているわけです。

私はあなたが好きだから何時までも居て頂戴なんて言わない。

宵闇は道が危なっかしいわよ、月が出てから帰って頂戴ね。だから、その間だけでも座っていて下さい。「その間にも見む」というのはすばらしい愛情ですね。

僕はこの歌、思い出があるんです。それは昔旧制高校の時に、一年間万葉集を習ったんですね。

試験に四つの問題が出た、四つの問題を評釈せよ、そしたら三つは習ったんだからいい、よころが四つ目にこれが書いてある。

「夕闇は 道たづたづし 月待ちて 行かせ吾背子(わかせこ) その間にも見む」

それ見た途端に直ぐ分かった、だって宵闇は道がたどたどしい、危なっかしい不安ですよ、月が出てからお帰りなさい、「その間にも見む」って、わぁすばらしいな、手をとってまぁ座って頂戴という格好まで思い浮かぶ。そう思ったんですが、そう書いていいかしら、千三百年前の万葉集がまるで近代の話みたいだ。

こんなのを書いたら一人だけませたのがいると、後で先生から言われたら嫌だと思ってこれだけ白紙で出した。そして出す時に、先生、「その間にも見む」ってどういう意味ですか、それはあたり前じゃないか、その間だけでもお会いしてましょうというんだ。

ああそうかと思ってそれで、万葉集って何て我々の気持ちに近いのかと思ってびっくりして、僕にとっては万葉が好きになった大事なきっかけとなった歌です。

それは、「あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき・・・」なんかでも好きになったけれども、これで千三百年というのが身近に飛び越えたみたい、何てすばらしい愛情の歌でしょう。

万葉人は何よりも月を頼りにしたんですね。現代人と違いますから、月光を頼りにする。月の歌は百六十も万葉集の中にあって、天体現象で一番多いんです。

どんなに深く愛しているなんて言わないで、極めて具象的に愛情を言っているでしょう。すばらし歌。

ではこれをうたいましょう。

「夕闇は 路たづたづし 月待ちて 

 行(い)かせ吾背子(わかせこ) その間にも見む」」

2008年と10年に奈良・飛鳥を訪ねました。

万葉集の花は、勝手に「馬酔木」と決めています。

で、奈良を訪ねた時に撮った馬酔木の花を貼り付けます。

2010年

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下の二枚は秋篠寺で、奈良で初めて撮った画像です。

2008年

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2010年

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では、今日はこの辺で。

今日から二年目です。