398.巻四・675~679:中臣郎女、大伴宿禰家持に贈る歌五首
675番歌
訳文
「佐紀沢に生い茂る花かつみではないが、かつて味わったこともないせつない恋をしています」
書き下し文
「をみなえし 佐紀沢に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも」
秋の七草のひとつの「オミナエシ」、万葉名「をみなえし」、オミナエシの名は、同じ仲間(オミナエシ科オミナエシ属)で白い花の「オトコエシ(男郎女)」に対して、花姿が優しくて女性的、しかも美しいことに由来しているとのこと。
そこから「女郎花」という文字があてられたといわれていますが、「おみな」は「女(娘)」の意味で、「なるべし」の「へし」がついて「おみなえし」と変化したそうで、この言葉は「女性さえ圧倒してしまうほど美しい姿」という意味だそうです。
また、「おみな・めし(郎女)」の意味もあり、小さい黄花を粟飯にたとえたとする説もあります。
さらに、「粟花」、「粟米花」、「粟黄金花」、「蒸粟」など、「アワ」にちなんだ名で呼ばれたりしています。
集中十四首詠まれていて、この歌が最初の歌です。
675、1346、1530、1534、1538、1905、2107、2115、2279、3943、3944、3951、4297、4316番歌です。
佐紀の枕詞。万葉当時、秋の佐紀には、女郎花が咲き乱れていたのでしょうか。秋のきれいな花として詠んでいる歌と、他の多くの花と同じように女性を表現している歌とがあり、この歌は枕詞として使われています。
中臣郎女は家持に想いを寄せた女性たちの一人です。
引用した本です。
676番歌
訳文
「海の底のように心の奥底に秘めて私が思っているあの方には、きっといつかお逢いできよう。どんなに年月がたった後にでも」
書き下し文
「海(わた)の底 奥(おき)を深めて 我が思へる 君には逢はむ 年は経ぬとも」
海の底:奥の枕詞。奥は心の底の意。
677番歌
訳文
「春日山に朝かかっている雲のように、見通しのない晴れぬ気持ちで、まだ見たことない人にさえ心を燃やすことがあるものなのだなあ」
書き下し文
「春日山 朝居る雲 おほほしく 知らぬ人にも 恋ふるものかも」
678番歌
訳文
「じかにお目にかかれたその時こそ、初めてこの命がけの苦しい恋も納まるのでしょうが・・・・・」
書き下し文
「直に逢ひて 見てばのみこそ たまきはる 命に向ふ 我が恋やまめ」
直接逢えない悩みを述べた歌。
命に向ふ:命を的にする。死か生かというぎりぎりの気持ちを表す。
679番歌
訳文
「あなたがいやとおっしゃるならこの私が無理じいしたりするものですか。長い菅の根のようにちぢに思い乱れていつまでも慕い続けていましょう」
書き下し文
「いなと言はば 強ひめや我が背 菅(すが)の根の 思ひ乱れて 恋ひつつもあらむ」
この歌だけがはっきりと相手に語りかける形をとり、愛情が最高潮になったことを示している。
菅の根:「思ひ乱る」の枕詞。時間の長さをも象徴している。普通は「ねもころ」や「長し」にかかる。
引用した本です。
女郎花に縁がなく、貼り付ける画像がありません。
きれいな女郎花を撮ってみたいですね。
今朝も良い天気です。
予報では夏日に。
では、今日はこの辺で。