369.巻四・581~584:大伴坂上家(さかのうへのいへ)の大嬢(おおいらつめ)、大伴宿禰家持に報(こた)へ贈る歌四首
大伴坂上家の大嬢:大伴宿奈麻呂と坂上朗女の間の子。この時十歳前後か。後に従兄の家持の正妻となった。
報へ:贈られた歌は載せられていない。この四巻にはこのような場合がしばしばある。
581番歌
訳文
「生きてさえいたら逢える日があるかもしれません。だのにどうして「もう死んでしまうよ、妹」などと言って夢に出て来られたのですか」
書き出し文
「生きてあらば 見まくも知らず 何しかも 死なむよ妹と 夢に見えつる」
贈られたうたの内容を踏まえた返歌か。
582番歌
訳文
「めそめそしないはずの大夫(ますらお)だってこんなに恋するものなのですね。ましてかよわい女の恋する苦しさに太刀打ちできるものがありましょうか」
書き出し文
「ますらをも かく恋ひけるを たわやめの 恋ふる心に たぐひあらめやも」
前歌の夢で言った相手の言葉を承けて自分の恋の方が激しいことを言った。
かく:夢で相手が、「死なむよ妹」と言ったことを承けたもの。
583番歌
訳文
「こんなにもお慕いしている私を移り気な女とお思いなのか。私の思うあの人はお便りさえ下さらない」
書き出し文
「月草の うつろひやすく 思へかも 我が思ふ人の 言も告げ来ぬ」
月草の:「うつろふ」の枕詞。「月草」はつゆ草で、染色に用いたに色がさせやすい意でかかる。
うつろひやすく:「思ふ」の内容を表す語。私のことをうつろいやすい女だと、という意。
言も告げ来ぬ:本人はもちろん来てくれない、の意を含む。
584番歌
訳文
「春日山に毎朝きまってかかる雲のように、いつもおそばで見たいあなたです」
書き出し文
「春日山 朝立つ雲の 居ぬ日なく 見まくの欲しき 君にもあるかも」
前の二首に対して後の二首独詠的である。なお、坂上大嬢と家持との贈答は、この後「離絶すること数年、また会ひて相聞往来す」の注をもつ737番歌までない。
「大伴宿奈麻呂と坂上朗女の間の子。この時十歳前後か。後に従兄の家持の正妻となった」と引用した本に記載してあったのですが、本当に十歳前後なのかな、自分の十歳前後と比較してしてしまいました。
引用した本です。
今朝は天気も良く、桜もきれいです。
後で撮ろうかな。
では、今日はこの辺で。