345.巻四・522~529:京職(みさとつかさ)藤原太夫が大伴郎女に贈る歌三首と大伴郎女、和(こた)ふる歌四首、また大伴坂上郎女が歌一首
大伴郎女:大伴坂上郎女
522番歌(~524番歌までの三首)
訳文
「おとめの玉櫛笥に納めてある玉櫛は神さびているというが、私の方は神さびたじいさんなったことだろうね。長くあなたに逢わずにいるから」
書き出し文
「娘子らが 玉櫛笥なる 玉櫛の 神(かむ)さびけむも 妹に逢はずあれば」
玉櫛笥:櫛は女の命として櫛箱に大切に蔵された。
神さび:神々しい意と年老いる意とをかける。麻呂は当時まだ二十七歳くらい。
523番歌
訳文
「がまんできる人は、年に一度の逢瀬でも待てるというのに、いつの間に私はこんなに激しい恋心を抱くようになってしまったのだろう」
書き出し文
「よく渡る 人は年にも ありといふを いつの間にぞも 我が恋ひにける」
この三首の中心をなす歌。
524番歌
訳文
「むしで作ったふかふかと暖かい夜着をかぶって寝ているが、妹と一緒に寝るわけではないから、やはりなんとなく肌寒い気がする」
書き出し文
「むし衾(ふすま) なごやが下に 伏せれども 妹とし寝ねば 肌し寒しも」
525番歌(~528番歌までの四首)
訳文
「佐保川の小石の飛石を踏み渡ってひっそりとあなたを乗せた黒馬の来る夜が、せめて年に一度でもあってくれたら・・・」
書き出し文
「佐保川の 小石踏み渡り ぬばたまの 黒馬来る夜は 年にもあらぬか」
523番歌に和した歌。
黒馬:夜、人目につきにくい黒い馬。
526番歌
訳文
「千鳥が鳴く佐保川の瀬のさざなみのように、とだえる時もありません。私の恋心は」
書き出し文
「千鳥鳴く 佐保の川瀬の さざれ波 やむ時もなし 我が恋ふらくは」
千鳥鳴く:佐保川は千鳥の名所で、枕詞のように用いている。
527番歌
訳文
「あなたは来ようと言っても来ないですっぽかす人なのに、来まいとおっしゃるのにもしや来ようかと待ったりはしますまい。来まいとおっしゃるんだもの」
書き出し文
「来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じと言ふものを」
「来」を繰り返す戯れ歌。心の底ではもしや「来む」かと待つ意もある。
528番歌
訳文
「千鳥が鳴く佐保川の渡りの場の瀬が広いので、板の橋を渡しておくよ。あんたがやって来そうな気がするから」
書き出し文
「千鳥鳴く 佐保の川門(かはと)の 瀬を広み 打橋渡す 汝(な)が来と思へば」(左注省略しました)
川門:川を渡って対岸へ行くのに好都合な場所。
汝(な)が来:女が男に対して「汝」と呼ぶのは異例で、からかいの気持がこもる。また「長く」の意をかけている。
529番歌
訳文
「佐保川の川っぷちの崖の高みに生えている雑木を刈らないでおくれ。そのままにしておいて、春になって枝葉が張り茂ったなら、そこに隠れてそっとあの人に逢おうために」
書き出し文
「佐保川の 岸のつかさの 柴な刈りそね ありつつも 春し来らば 立ち隠るがね」
旋頭歌という形式と雑木の茂みに隠れるという民謡めいた内容に託して待つ心を歌った歌。相手に汝と呼びかけ、打橋を渡すという前歌と気分のうえで通じるものを持っている。
引用した本です。
527番歌は以下の本の「43 来じといふものを」を参照しました。
今朝(4月7日)はうっすらと雪が積もりました。
福寿草の花も寒そうです。
4月5日は晴れの天気で、福寿草の花を撮りました。
4月に入って寒い日が続き、花弁の伸びが今一つです。
では、今日はこの辺で。