317.巻三・454~459:天平三年辛羊の秋の七月に、大納言大伴卿の薨ぜし時の歌六首
454番歌
訳文
「ああ、お慕わしい。お栄え遊ばした君がこの世にいらっしゃたなら、昨日も今日もいつものように私をお召し下さるであろうに」
書き出し文
「はしきやし 栄えし君の いましせば 昨日も今日も 我を召さましを」
はしきやし:形容詞「愛(は)しき」に感動の序詞「や」「し」のついた形。
455番歌
訳文
「こんなにもはかなくなられるお命であったのに、「萩の花はもう咲いたか」と私にお尋ねになった君は、ああ」
書き出し文
「かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと問ひし君はも」
萩を愛しその盛りを待ち焦がれた故人を、その言葉とともに懐かしみ、愛惜した歌。
萩の花 咲きてありや:旅人が作者に尋ねた言葉。臨終間際の言葉として、いかにも旅人らしい。この年、旅人に栗栖野(くるすの)の萩を思う歌(970番歌)がある。
456番歌
訳文
「君をお慕いするあまり、まったくどうしようもなくて、葦辺に騒ぐ鶴のように、声をあげてただ泣けてくるばかりだ。朝にも夕べにも」
書き出し文
「君に恋ひ いたもすべなみ 葦鶴(あしたづ)の 哭(ね)のみし泣かゆ 朝夕にして」
457番歌
訳文
「いつまでもずっとお仕え申し上げようと思っていた、その君がもはやこの世においでにならないので、心の張りが抜けてしまった」
書き出し文
「遠長く 仕へむものと 思へりし 君いまさねば 心どもなし」
前の454番歌などとともに、日並皇子の舎人等の挽歌をなにほどか意識しての作らしい。178番歌参照。
458番歌
訳文
「赤子のように匍(は)いまわって悲しみ、朝にも夕べにも私は声をあげて泣いてばかりいる。お仕えしていた君が亡くなられたので」
書き出し文
「みどり子の 匍ひた廻(もとほ)り 朝夕に 哭のみぞ泣く 君なしにして」
右の五首は、資人余明軍、犬馬の慕(したひ)に勝(あ)へずして、心の中に感緒(おも)ひて作る歌。
主人旅人の喪に服している状況を述べることにより、ひたすら敬い悲しむ心を表したもの。
みどり子:一~三歳の子供。210番歌参照。
挽歌の情用語や古い匍匐礼に由来する表現が詠まれている。
459番歌
訳文
「いくらお目にかかっても見飽きることなくご立派でいらした君が、黄葉の散りゆくように亡くなってしまわれたので、なんとも悲しくてならない」
書き出し文
「見れど飽かず いましし君が 黄葉の うつりい行けば 悲しくもあるか」
右の一首は、内礼正縣犬養宿禰上に勅して卿の病を検護(とりみ)しむ。しかれども医薬験(しるし)なく、逝く水留まらず。これによりて悲慟(かな)しびて、すなはちこの歌作る。
引用した本です。
今朝は5㎝ほどの積雪で、朝食前に雪かきをしました。
冷え込みがきつく軽い雪でした。
では、今日はこの辺で。