万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

315.巻三・443~445:天平元年己巳に、摂津の国の班田の史生丈部龍麻呂自ら経きて死にし時に、判官大伴宿禰三中が作る歌一首あわせて短歌

天平元年:729年、改元は8月。

経(わな)きて死に:首をくくる意。

大伴宿禰三中:龍麻呂の上官。

443番歌

訳文

「「はるかかなたに天雲の垂れ伏す遠い国に生れついた、ますらおといわれる者は、天皇の御殿で、あるいは外に立って警護に当たり、あるいは禁中のおそば近くでお仕え申して、末の末までも祖先の名誉を継いでゆくべきものだ」と父母にも妻や子にも語り聞かせて、国を出で発ったその日以来、故郷の母君は、斎瓮(いわいべ)を目の前に据えおき、片手には木綿を捧げ持ち、片手に和栲(にきたえ)を捧げ奉って、どうぞ平安無事でいて下さいと天地の神々に祈願して、いつの年いつの月日に、元気なあなたが苦労を重ねながらもはるばる帰ってくるだろうかと、立ったり座ったりして待ち焦がれていらしたに違いない、その当のあなたは、天皇の仰せにひたすら従い、難波の国で年がたつまで、着物を洗い乾す暇さえもなく朝夕勤めに励んでいた、そんなあなたは、ああいったいどのように思われて、生きがいのあるこの世を振り捨てていってしまったのであろうか。まだ死ぬべき時ではないのに」

書き出し文

「天雲の 向伏す国の ますらをと 言はるる人は 天皇の神の御門に 外の重(へ)に 立ち侍(さもら)ひ 内の重に 仕へ奉りて 玉葛 いや遠長く 祖(おや)の名も 継ぎ行くものと 母父(おもちち)に 妻に子どもに 語らひて 立ちにし日より たらちねの 母の命は 斎瓮(いわひへ)を 前に据ゑ置きて 片手にには 木綿(ゆふ)取り持ち 片手には 和栲(にきたへ)奉り 平(たひら)けく ま幸(さき)くませと 天地の 神を祈(こ)ひ禱(の)み いかにあらむ 年月日にか つつじ花 にほへる君が にほ鳥の なづさひ来むと 立ちて居て 待ちけむ人は 大君の 命畏(みことかしこ)み おしてる 難波の国に あらたまの 年経るまでに 白栲の 衣も干さず 朝夕に ありつる君は いかさまに 思ひいませか うつせみの 惜しきこの世を 露霜の 置きて去にけむ 時にあらずして」

遠国から出てきた若者の精励ぶりと、家でひたすら待つ母親の気持ちとを縷縷(るる)尽くすことによって、霊を慰めようとしている。

時にあらずして:自殺したのでこう言った。

反歌

444番歌

訳文

「昨日はたしかにあなたはこの世の人だった。なのに、今日はもう浜松の上に雲となってたなびいてるとは」

書き出し文

「昨日こそ 君にありしか 思はぬに 浜松の上に 雲ににたなびく」

雲ににたなびく:火葬の煙をさす。

445番歌

訳文

「いつかいつかと今も帰りを待っている妻に、便りの一つも送らないで、死んでしまったあなた、ああ」

書き出し文

「いつしかと 待つらむ妹に 玉梓の 言だに告げず 去にし君かも」

引用した本です。

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今朝は積雪ゼロでした。

でも少し冷え込み、道はつるつるで、砂蒔きをしました。では、この辺で。