312.巻三・438・439・440:神亀五年戊辰に、太宰帥大伴卿、故人を思(しの)ひ恋ふる歌三首
神亀五年:728年、439番歌と440番歌の作歌時とは合わないが、内容上関連する三首をこの年次のもとに編者が括ったらしい。以下453番歌までの旅人の歌十一首は一連をなす。
太宰帥大伴卿:大伴旅人。315番歌参照。
故人:旅人の妻、大伴郎女。神亀五年没。
438番歌
訳文
「いとしい人が枕にして寝た、この私の腕(かいな)を、枕にする人などまたとあろうか」
書き出し文
「愛(うつく)しき 人のまきてし 敷栲(しきたへ)の 我が手枕を まく人あらめや」
右(上)の一首は、別れ去にて(妻の死後数十日を経て作られた歌、の意)数句を経て作る歌。
手枕を交わす相手のいない悲しみが、将来も続くであろうと嘆じて、一連の歌の冒頭歌としている。
439番歌
訳文
「いよいよ都に帰れる時になった。だが、都でいったい誰の腕を、私は枕にして寝ようというのか」
書き出し文
「帰るべく 時はなりけり 都にて 誰(た)が手本(たもと)をか 我が枕かむ」
自分の手を枕にしてくれる相手がいないことを嘆いた受動的な前歌に対し、能動的に自分が手枕をする相手のいないことを嘆いている。帰京の喜びを通して、悲嘆の具体性と切実感を一層浮き立たせている。
手本:手首。袖口のあたり。
枕かむ:「枕」を動詞とした「枕(まくら)く」に、助動詞「む」がついたもの。
440番歌
訳文
「妻もいない都の、荒涼としたわびしい家に独り寝たならば、今の旅寝にもましてどんなにかつらいことであろう」
書き出し文
「都にある 荒れたる家に ひとり寝ば 旅にまさりて 苦しかるべし」
右(上)の二首は、京に向ふ時に臨近(ちか)づきて作る歌。
楽しかるべき都の「家」の寒々とした空しさを「旅」と対比しつつ、独り寝の悲傷を極限的に想像し吐露することで、三首を結んだ。同時にこれは、帰京途次と帰宅後の歌(446番歌~453番歌)を引き出す発端をなす。
旅:上の家に対して異郷筑紫の生活をいう。
引用した本です。
今朝の積雪はゼロでしたが、風が強く今にも雪か雨が降り出しそうな気配です。
では、今日はこの辺で。