万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

310.巻三・431・432・434:勝鹿の真間娘子が墓に過(よぎ)る時に、山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

勝鹿:葛飾、東京都・埼玉県・千葉県にまたがる江戸川下流沿岸一帯の地。

真間:市川市真間のあたりにいたという伝説上のおとめ。

431番歌

訳文

「昔、このあたりにいたという男が、倭文織(しずか)りの帯を解きあい、寝屋をしつらえて、共寝をしたという葛飾の真間の手児名の墓どころ、その墓どころはここだと聞くけれど、真木の葉が茂っているせいであろうか、松の根長く伸び年古りたせいであろうか、その跡はわからないが、昔の話だけは、手児名の名だけは、私はとても忘れることができまい」

書き出し文

「いにしへの ありけむ人の 倭文機(しつはた)の 帯解き交(か)へて 伏屋立て 妻どひしけむ 勝鹿の 真間の手児名が 奥城(おくつき)を こことは聞けど 真木の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも我れは 忘らゆましじ

題詞、歌詞ともに人麻呂の近江荒都歌(29番歌)の系譜を継ぎ、虫麻呂の伝説歌(1807番歌など)を導く位置にある。

倭文機(しつはた):外国渡来の織物に対して日本古来の単純な模様の粗末な織物。

伏屋:竪穴住居のような掘立小屋。ここは二人の寝屋を設ける意。

手児名:手児はいとしい子の意か。名は愛称の接尾語。

奥城(おくつき)を こことは聞けど:以下六句は近江荒都歌の「大宮はここと聞けども」以下八句を模したもの。

真木の葉や 茂りたるらむ:次の二句とともに墓跡の不明になった理由を推量している。

432番歌

訳文

「たしかに私もこの目で見た。人にもここだと語って聞かせよう。葛飾の真間の手児名のこの墓どころを」

書き出し文

「我れも見つ 人にも告げむ 勝鹿の 真間の手児名が 奥城ところ」

「語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ」(317番歌)に共通な感嘆。

433番歌

訳文

「昔、この葛飾の真間の入江で、波にゆれる玉藻を刈ったという手児名のことが、はるかに偲ばれる」

書き出し文

「勝鹿の 真間の入江に うち靡く 玉藻刈りけむ 手児名し思ほゆ」

手児名の姿を清らかに彷彿させた赤人らしい作風。高橋虫麻呂の1808番歌参照。

引用した本です。

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参考にした本です。

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昨日読み終えた本です。

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今朝も冷え込みが厳しく、朝食前に軽い雪かきでした。

もうじき3月というのに真冬日が続きます。

では、今日はこの辺で。