万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

305.巻三・423・424・425:同じく石田王が卒りし時に、山前王が哀傷しびて作る歌一首

山前王:忍壁皇子の子。

423番歌

訳文

「磐余の道を毎朝帰っていかれたお方は、道すがらさぞや思ったことであろう、時鳥の鳴く五月には、共にあやめ草や花橘を玉のように糸に通し、髪飾りにもしようと、九月の時雨の頃には共に黄葉を手折って髪に挿そうと、そしてますます末永くいつの代までも仲を違えることなく睦ましくしようと、こう思って通ったことであろう、その君を事もあろうに明日からはこの世ならぬ外の人として見るというのか」

書き出し文

「つのさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは ほととぎす 鳴く五月(さつき)には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き かずらにせむと 九月(ながつき)の しぐれの時は 黄葉を 折りかざさむと 延(は)ふ葛の いや遠長く 万代に 絶えじと思ひて 通ひけむ 君をば明日ゆ 外にかも見む」

王が思いをかけて女のもとへ元気に通っていた状況を述べることで、王の急死を悼んだ歌。

或本の反歌二首

424番歌

訳文

「泊瀬のおとめが手に巻いている玉は、緒が切れてばらばらに乱れ散っているというではないか」

書き出し文

「こもくりの 泊瀬娘子が 手に巻ける 玉は乱れて ありといはずやも」

玉の死を玉の乱れに譬えて悲しんだ歌。ただし左注によれば玉の乱れは紀皇女の死を譬えたことになる。

泊瀬に葬られた紀皇女を、冥界である泊瀬に住むおとめに見立てたことになる。

425番歌

訳文

「川風の寒い泊瀬の道を、妻恋しさに思い沈んで通われた、その君のお姿に似た人に、いまはもう逢えはしない」

書き出し文

「川風の 寒き泊瀬を 嘆きつつ 君があるくに 似るひとも逢へや」

(左注)

右の二首は、或いは「紀皇女の薨ぜし後に、山前王、石田王に代わりて作る」といふ。

死者に似る人にも逢えぬと歌うのは、挽歌の発想の一つ。

左注によれば、亡き紀皇女恋しさに石田王がさまよわれても、その皇女の姿に似る人にも逢えない、の意となり、意味が通りやす。

紀皇女:石田王の妻らしい。

あやめぐさ:万葉にアヤメグサとあるのは、今、五月節句に用いるショウブを指しているので、アヤメ科のアヤメではない。集中、アヤメグサを詠んだ歌が十二首あるが、その多くはホトトギスと題して詠んでいる。

引用した本です。

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今朝は数㎝の積雪で、朝食前に雪かきをしました。

真冬日が続きます。

3月になると春の日差しが感じられ、雪かきの冬も終わりです。

2月16日に札幌市の百合が原公園のリニューアルした温室を訪ねました。

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ミモザ、雪割草、椿、アザレア、蘭などなどの花が咲き乱れていました。

花はいいですね。

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では、今日はこの辺で。