万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

304.巻三・420・421・422:石田王(いはたのおほきみ)が卒りし時に、丹生王(にふのおおきみ)が作る歌一首あわせて短歌

石田王:伝不詳

丹生王:石田王の妻の一人であろう。丹生女王と同一人か。

420番歌

訳文

「なよ竹のようにたおやかな御子、紅顔のわが君は、泊瀬の山に神として祭られていらっしゃると、使いの者が言ってきた。

まさかそんなことはあるまいに、人惑わしの空言を私は聞いたのか、とんでもないでたらめを私は聞いたのか。

ああ、天地の間で何よりも残念なこと、この世でいちばん残念なことは、天雲の遠くたなびく果て、天と地の接する遠い果てまで、どこまででも、杖をつくともつかずとも何とでもして行って、夕占(ゆうけ)もし石占(いしうら)もして凶事を予知すべきだったのに、わが家には祭壇を設け、枕辺には斎瓮(いわいべ)を据えつけ、竹玉をびっしりと貫き垂らし、木綿(ゆう)だすきを腕にかけて、神に無事を祈るべきだったのに、天上にあるささらの小野の七ふ菅を手に取り持って、天の川原に出かけて禊をして、禍を払うべきだったのに。

何一つできずじまいで、わが君が高山の巌のうえにおられるままにしてしまったことよ」

書き出し文

「なゆ竹の とをよる御子 さ丹つらふ 我が大君は こもりくの 泊瀬の山に 神さびに 斎きいますと 玉梓の 人ぞ言ひつる およづれか 我が聞きつる たはことか 我が聞きつるも 天地に 悔しきことの 世間の 悔しきことは 天雲の そくへの極み 天地の 至れるまでに 杖つきも つかずも行きて 夕占問ひ 石占もちて 我がやどに みもろを立てて 枕辺に 斎瓮を据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ 木綿たすき かひなに懸けて 天なるささらの小野の 七ふ菅 手に取り持ちて ひさかたの 天の川原に 出で立ちて みそぎてましを 高山の 巌の上に いませつるかも」

王が死の禍から脱れる種々の手だてを、自分が尽くしえなかった悔しさを述べて、王の死を痛恨した歌。

反歌

421番歌

訳文

「不吉な空言というものではないだろうか。高山の巌の上に君が臥せっていられるというのは」

書き出し文

「およづれの たはこととかも 高山の 巌の上に 君が臥(こ)やせる」

反歌を要約して、嘆きを強めたもの。

422番歌

訳文

「石上の布留の山にこんもり群だつ神杉、その杉のように私の思いから過ぎ去って忘れてしまえるようなお方ではけっしてないのに」

書き出し文

「石上 布留の山なる 杉群の 思ひ過ぐべき 君にあらなくに」

前歌と違って王の死を認めた後の心で、限りない思慕を述べることにより全体をまとめている。

石上布留:いそのかみるふ、天理市石上神宮の付近

引用した本です。

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2月16日から18日札幌へ。

19日は積雪15㎝ほどで、朝食後雪かきと排雪作業に追われ、ブログの更新が今日になりました。

雨水というのに真冬日が続いています。

札幌の家で、文芸春秋3月号に掲載の「自裁死・西部邁は精神の自立を貫いた 保阪正康浜崎洋介」に触れられていた西部邁氏著の「友情」を探したのですが、見つけることができませんでした。

友情の舞台が札幌の同じ地域であったので、興味深く読んだので、もう一度読んでみようかと探したのです。

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札幌市の紀伊國屋で購入し、読み終えた新書です。

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読んでいる新書です。

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では、今日はこの辺で。