259.巻三・338~350の内の347~350:太宰帥大伴卿、酒を讃むる歌十三首の四首
347番歌
訳文
「この世の中の色々の遊びの中で一番楽しいことは、一も二もなく酔い泣きすることのようだ」
書き出し文
「世間の 遊びの道に 楽しきは 酔い泣きするに あるべかるらし」
前歌の「心遣る」を承けて「世間の遊び」と続けたもの。
「酔い泣き」を第一の遊びとして賞揚した歌。
世間の遊びの道:俗世間の琴棋書画などの遊び。
348番歌
訳文
「この世で楽しく酒を飲んで暮らせるなら、来世は虫や鳥になってもかまわない」
書き出し文
「この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我れはなりなむ」
前歌の「世間」を「この世」で承けて続け、飲酒戒を破って現世享楽の応報を喜んで受けようと詠んだ。
次歌とともに前歌の主張を裏付けようとしたもの。
楽しく:前歌と同じく飲酒の楽しさを言う。次歌でも同じ。
349番歌
訳文
「生ある者はいずれ死ぬのだから、せめてこの世では酒を飲んで楽しく過ごしたいものだ」
書き出し文
「生ける者(ひと) 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな」
仏説を逆手にとって現世享楽を歌った歌。
生ける者(ひと)遂にも死ぬる:仏説の「生者必滅」を言う。
350番歌
訳文
「黙りこくって分別くさく振舞うのは、飲んで酔い泣きするのにやっぱり及びはしないのだ」
書き出し文
「黙居(もだを)りて 賢しらするは 酒飲みて 酔ひ泣きするに なほしかずけり」
讃酒歌の総まとめの歌。
熟慮反省の結果として、「酔い泣き」の賞揚すべきことを確認したもの。
以上十三首は太宰府での宴席で公表されたものであろう。
引用した本
また、「・・・「酔泣」を称賛することは漢籍にも例を見ないという。やまと歌独自の達成として評価するとともに、旅人の鬱屈の深さを思うべきであろう」と引用した本↓は結んでいます。
では、このへんで。