万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

248.巻三・322・323:山部宿禰赤人、伊予の温泉に至りて作る歌一首あわせて短歌

322番歌

訳文

天皇である神が領知なさっている国々に温泉はたくさんあるけれども、島や山の素晴らしい国だと峻厳な伊予の高嶺である射狭庭(いざにわ)の岡にお立ちになられて、歌を思い、ことばを練られた、そんな温泉の近くの木立を見ると臣の木はそのまま立っている。

鳴く鳥の声も変わらない。

これから先いつまでも神々しくなって行くだろう行幸の地よ」

書き出し文

天皇(すめろき)の 神の尊の 敷きいます 国のことごと 湯はしも さはにあれども 島山の 宜しき国と こごしかも 伊予の高嶺の 射狭庭の 岡に立たして 歌思ひ 辞思ほしし み湯の上の 木群を見れば 臣(おみ)の木も 生い継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変はらず 遠き代に 神(かむ)さび行かむ」

反歌(323番歌)

訳文

「(ももしきの)大宮人たちが熟田津に船乗りをしたという年は、いつのことかわからない」

書き出し文

「ももしきの 大宮人の 熟田津に 舟乗りしけむ 年の知らなく」

熟田津で思い出すのは、額田王の巻一・8番歌ですね。

白村江の敗戦後、倭国は古代最大の内乱である壬申の乱(672年)を経て、律令制が形作られてゆく。

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そして、平城京へと都も移り日本という国家も完成する。 熟田津は、遠い故事となったころに山部赤人が訪れ詠んだものと思われる。

天皇は、代々の天皇を含みこんだ皇統全体を示す。

射狭庭(いざにわ:愛媛県):道後公園付近。今も丘の上に伊左爾波(いさにわ)神社が鎮座する。

古事記上巻の知識が必要で、・・・聖徳太子斉明天皇などの行幸の故事を圧縮して詠んでいのるが、この歌である。

行幸に恵まれたこの地は、これから先も神々しくなってゆくであろうことを予祝して長歌は歌い収められる。

反歌では額田王の巻一・8番歌を下敷きに、それは遥か昔の出来事であると歌う。

巻一・8番歌

「熟田津に 舟乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」

引用した本です。

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では、このへんで。

今朝は10数㎝の積雪でした。

久しぶりに雪かきをしたなという感じです。

明日も同じくらい降るかな、今年の根雪は、11月19日のようです。