213.巻三・264:柿本朝臣人麻呂、近江の国より上り来る時に、宇治の河辺に至りて作る歌一首
犬養先生の本を引用します。
「今度も柿本人麻呂の歌です。有名な歌ですよ。
「もののふの 八十氏河(やそうぢかは)の 網代木(あじろぎ)に いさようふ波の 行方(ゆくへ)知らずも」
もののふの八十というのは、氏をいうための序詞、引き出すための言葉ですね。
もののふというのは宮廷の文武百官、大勢いるから、それで八十氏というわけです。
万葉にはたくさん出てきます。「もののふの 八十氏河の」氏河は京都の山城のの宇治川ですね。
網代木というのは網の代わりです。
すなわち川の中に杭を打って、そしてそこに魚を寄せて、簀をその後ろに置いておくわけですね。
そうすると簀の中へ、お魚が入り込む設備です。
そうすると、もののふの八十は序詞として、宇治川の網代木のとこtろで、いさようふというんだから揺れ動いている。
ずっとそこに邪魔物があるから、流れないで、淀んで、白く泡だっているようなところですね。
そこでもって、いざようている波が、あっと思うと、またすうっと向こうへ抜けていっちゃうでしょう。
どこへいくのかしら、すうっと流れていく。そういうことですね。
そうするとだから、「もののふの 八十氏の 網代木に いさようふ波の 行方知らずも」いろんな説が出てくる。
人生無常ををいってるんだな。
無常観をいっているんだ。
いやいや違うよ。これは、無常観なんていうものじゃない実景をいってるんだ。
僕は、何も仏教の無常観なんていうものとは、また違うと思う。
事実はそれに通じるけれどね。
だって大事なことは、この歌の題詞にこう書いてある。
「近江の国より上り来たりし時、宇治川のほとりににてつくった歌」とあるんです。
このことは大事だ。だって柿本人麻呂には、近江の荒れた都を過ぐる時の有名な歌があるでしょう。
あの反歌は、すでに扱いましたね。
(29番歌、30番歌、31番歌です)
「楽浪(ささなみ)の 志賀の唐崎 幸くあれど 大宮人の 船待ちかねつ」(30番歌)
だからこの人の気持ちの中には、壬申の乱、近江朝の悲しい廃墟。それから続いて壬申の乱の動乱。
もののふ達が活躍したあの場面も思い出されるのでしょう。
もののふの八十というのは、ただ序詞だといってカッッコに入れるわけにはいかない。
人麻呂の心の中には、もののふ達の姿が、栄枯盛衰が、興亡が胸の中に沸々と起こってくるでしょう。
そんなことを体験してきて、宇治川のほとりにきたら、今、網代木に水がぶつかっては、いさようて、そしてスッといくんでしょう。
人麻呂という人は、長い時の流れの中に一瞬をとらえる人ですね。
人麻呂の人生観の背後には、無限の時から、無限のかなたに流れるものがいつも感じられている。
そういう人ですから、われわれが現在ここに生きているというのも、長い歴史の一コマでしょう。
人麻呂には、その気持ちがある。
だから、感慨無量。
壬申の乱の廃墟のところを、おそらく見てきた、近江から帰る途中のことですから。
網代木に いさよふ波というのは、実によく対象を見てますね。そこで揺れ動いている波をじっと見ていると、スッといってしまう。
僕は無常観なんていう観念的な言葉じゃなしに、人麻呂の、その近江から帰ってきた時に見た、どうにもならない感動、その感動を実際の景観の中に即していっている、もののふの八十だって、ただの序詞ではないと思う。
その発想の底には、さっき申したような気持ちもあるんじゃないでしょうか。
それではそんなことを思いながら、網代木にぶつかって、スッと消えていく水の流れを思いながらうたってみよう。
「もののふの 八十氏河(やそうぢかは)の 網代木(あじろぎ)に いさようふ波の 行方(ゆくへ)知らずも」
次の本も参考にしました。
「・・・宇治の川べりに立ってこの歌を誦すれば、「もののふの八十」の序も感動を深めてゆくだいじな津動をなしているし、流れきた杭などに停滞し、ためらいすこまてゆく水流の実相からは、千古にかわらぬ詩人の遠い眼、深い心をじかに思わないではいられない。」
では、この辺で。