万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

202.巻二・230~234:霊亀元年、歳次乙卯の秋九月に、志貴皇子の薨ずる時に作る歌一首あわせて短歌

高円:春日の南に続く奈良市下街地の東南の地域で、白毫寺町・高円山・鹿野園町など一帯の地であり、たんに「高円」という時は、山や野にも言われる。「高円山」は、春日山の南に、地獄谷を隔てて続く山である。「大和志料」には「白毫寺ノ上方ニアリ故白毫寺山トモ称ス」と記す。

230番歌

訳文

「矢を指に挟み立ち向かう的ーそのマトという名の高円山に、春野を焼く野火かと見えるほど燃えている火を、あれは何かと尋ねると、道をやって来る人が、泣く涙を小雨の降るように流しながら、衣もびしょ濡れになって、立ち止まって私に言うことには、どうしてそんなことをいたずらに尋ねるのですか。

そのことを語ると心が痛みます。

天皇の神の皇子である志貴親王のご葬列の松明の光が、あんなにも照っているのです」

書き出し文

「梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み 立ち向かふ 高円山に 春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 何かと問へば 玉桙の 道来る人の 泣く涙 小雨に降れば 白たへの 衣ひづちて 立ち留まり 我に語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 音のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き 天皇の 神の皇子の 出でましの 手火の光そ そこば照りたる」

短歌二首

231番歌

訳文

「高円の野辺の秋萩はむなしく咲いては散っていることだろうか。見る人もないままに

書き出し文

「高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに」

2010年3月4日に白毫寺で撮影

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犬養孝氏揮毫

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歌にちなんだ萩を植え、萩の寺の名がある、咲くころに訪ねてみたい。

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きれいに咲いていました。

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232番歌

訳文

三笠山の野辺を行く道は、こんなにも草が生い茂り荒れたももか。久しく時も経ないのに」

書き出し文

三笠山 野辺行く道は こきだくも 繁く荒れたるか 久にあらなくに」

右(上)の歌は、笠朝臣金村が歌集に出でたり

笠金村の挽歌は、作中の主体が燃える火を何かと問うたのに対し、道を来る人が皇子の葬送の松明の火だと答えるという特殊な構成で形成されており、印象的である。

おそらく千名ほどの葬列が松明を手に葬地に向かっていたであろう。

引用した本です。

f:id:sikihuukei:20170723030328j:plain白毫寺

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或本の歌に日はく

233番歌

訳文

「高円の野辺の秋萩よ、散らないでおくれ。いとしいお方の形見と見ながらずっとお偲びしよう」

書き出し文

「高円の 野辺の秋萩 な散りそね 君が形見の 見つつ偲はむ」

次の歌とともに、妻女ら遺族の嘆きを述べた密葬時の歌らしい。ただし、作者は妻女たち自身か別人か不明。

234番歌

訳文

「御笠山の野辺を通る宮道はこんなにもひどく荒れてしまいました。あの方が亡くなってからまだ時はいくらも経っていないのに」

書き出し文

「御笠山 野辺ゆ行く道 こきだくも 荒れにけるかも 久にあらなくに」

上の歌で引用した本です。

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なお、白毫寺は天智天皇の皇子である志貴皇子離宮跡に建てられたと伝えられる寺です。

志貴皇子のわらびを詠んだ歌が好きです。

巻八・1418番歌です。

「石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」

わらびを詠んだ歌は、この一首のみです。

これで巻二を終わり、次回はいよいよ巻三です。

夜半の小雨も止みました。

では、この辺で。