201.巻二・228、229:和銅四年歳次辛亥に、河辺宮人、姫島の松原にして娘子の屍を見て悲嘆しびて作る歌二首
寧楽(なら)の宮
「寧楽(なら)の宮に天の下知らしめす天皇の代」と書かないのは、編者同時代だから
河辺宮人:物語上の人名か
姫島:淀川河口の島の名か
見て:思い見て、の意。娘子の死は、伝説であったらしい。
228番歌
訳文
「この娘子の名は千代万代に流れ伝わるであろう。
娘子にふさわしい名の姫島の小松が成長して梢に蘿(こけ)が生すまでも」
書き出し文
「妹が名は 千代に流れむ 姫島の 小松がうれに 蘿生すまでに」
229番歌
訳文
「難波潟よ、引き潮などあってくれるな。
ここに沈んだ娘子の姿を見るのはつらいことだから」
書き出し文
「難波潟 潮干なありそね 沈みにし 妹が姿を 見まく苦しも」
娘子屍を美しく幻想した前歌に対して、これはその幻想を破れることを忌避した歌歌であるという。
引用した本です。
今朝は雨、ここ数日晴れていないな。
では、このへんで。