万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

196.巻二・207~212:柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟(きふけつあいどう)して作る歌二首あわせて短歌

今回は前回の195.の続きの210~212番歌です。

前の208番歌は、人麻呂が死んだ妻を求めて山訪ねをする歌です。

210番歌

訳文

「妻はずっとこの世の人だと思っていた時に、手に手を取って二人して見た、長く突き出た堤に立っている槻の木の、そのあちこちの枝に春の葉がびっしりと茂っているように、絶え間なく思っていた妻ではあるが、頼りにしていた妻ではあるが、常なき世の定めに背くことはできないものだから、陽炎の燃え立つ荒野に、まっ白な天女の領巾(ひれ)に蔽(おお)われて、鳥でもないのに朝早くわが家を後にして行かれ、人日のように隠れてしまったので、妻が形見に残していった幼な子が物欲しさに泣くたびに何をあてがおうやらあやすすべも知らず、男だというのに小脇に抱きかかえて、妻と二人して寝た離れの中で、昼はうら寂しく暮し、夜は溜息ついて明かし、こうしていくら嘆いてもどうしようもなく、いくら恋い慕っても逢える見こみもないので、羽(け)がいの山に私の恋い焦がれる妻はいると人が言うままに、岩を押しわけ苦労してやっと来たが、そのかいすらもない。ずっとこの世の人だとばかり思っていた妻の姿がほのかにさえ見えないことかと思うと」

書き出し文

「うつせみと 思ひし時に 取り持ちて 我がふたり見し 走出の 堤に立てる 槻の木の こちごち枝の 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世間(よのなか)を 背きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野に 白栲(しろたえ)の 天領巾隠(あまひれがく)り 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞い泣くごとに 取り与ふる 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と ふたり我が寝し 枕付く 妻屋のうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども 為(せ)むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽がひの山に 我が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば

短歌二首

211番歌

訳文

「去年見た秋の月は今も変らず照っているが、この月を一緒に見た妻は、年月とともにいよいよ遠ざかって行く」

書き出し文

「去年見てし 秋の月夜は 照らせども 相見し妹は いや年離(ちしさか)る」

212番歌

訳文

「引手の山に妻を置いて、寂しい山道をたどると、とても自分が生きているとは思えない」

書き出し文

「衾(ふすま)ぢを 引手(ひきで)の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし」

今回引用した本です。

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なお、死者は山に行く、こういう考えが万葉人にはあったらしい。

また、巻九・1740に高橋虫麻呂の「水江の浦島子を詠む歌」が、海に対する歌です。

「・・・虫麻呂はこの海の世界を歌の中で「常世」ともいっている。常世とは時間のない、永世の国である。日本人の思い描いた、もっとも古い「あの世」であるといってもよい。

このように古代の人たちは、人の住む範囲の外側の山や海を、神々や霊的なものが住み、また人が死後に赴く異界として意識していたらしいことがわかる。・・・」

さらに、万葉時代には、紅葉ではなく、黄葉が大和路を飾っていたらしい。

今朝はすこし、というより、昨日より暖かい、16℃です。

では、この辺で。