万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

195.巻二・207~212:柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟(きふけつあいどう)して作る歌二首あわせて短歌

今回は、207~209番歌の記載で、210~212番歌は次回の記載とします。

泣血哀慟(きふけつあいどう):果てには血の涙が出るほど泣き悲しむ意

207番歌

訳文

「軽の巷はわが妻のいる里だ、だから通い通ってよくよく見たいと思うが、休みなく行ったら人目につくし、しげしげ行ったら人に知れてしまうので、またいつか逢おうと将来を頼みにして、岩で囲まれた淵のようにひっそりと思いを秘めて恋い慕ってばかりいたところ、あたかも空を渡る日が暮れてゆくように、夜空を照り渡る月が雲に隠れるように、沖の藻のごとく私に寄り添い寝た妻は散る黄葉のはかない身になってしまったと、こともあろうにいつも妻の便りを運ぶ使いの者が言うので、あまりな報せだけを聞いてすます気にはとてもなれないので、この恋しさの千に一つも紛れることもあろうかと、妻がしょっちゅう出て見た軽の巷に出かけて行ってじっと耳を澄ましても、妻の声はおろか畝傍の山でいつも鳴いている鳥の声さえも聞こえず、道行く人にも一人として妻に似た者はいないので、もうどうしてよいかわからず、妻の名を呼び求めてただひたすらに袖を振り続けた」

書き出し文

「天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど やまず行かば 人目を多み 数多(まね)く行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 岩垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れ行くがごと 照る月の 雲隠るごと 沖の藻の 靡きし妹は 黄葉(もみじば)の 過ぎてい行くと 玉梓(たまづき)の 使いの言へば 梓弓 音に聞きて 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 我妹子が やまず出て見し 軽の市に 我が立ち聞けば 玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉桙(たまほこ)の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる

208番歌

訳文

「秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので中に迷いこんでしまった妻を、探し求めようにもその山道さえもわからない」

書き出し文

「秋山の 黄葉を茂み 惑ひぬる 妹を求めむ 山道(やまじ)しらずも」

209番歌

訳文

「黄葉がはかなく散ってゆく折しも、文使いが通うのを見ると、いとしい妻に逢った日のことがあれこれ思い出される」

書き出し文

「黄葉(もみじば)の 散りゆくなへに 玉梓(たまずさ)の 使いを見れば 逢ひし日思ほゆ」

引用し参考にした本です。

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では、この辺で。

昨日は札幌の近くの手稲山が初冠雪でした。

ストーブも朝晩焚いています。