万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

190.巻二・196、197、198:明日香皇女の城上の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首あわせて短歌

明日香皇女:天智天皇の皇女、忍壁皇子の妃。持統天皇の信頼が厚かったらしい。

城上:きのへ、奈良県北葛城郡広陵町あたりか。

196番歌

訳文

「明日香川の川上の浅瀬に飛石を並べる。

川下の浅瀬に板橋を掛ける、その飛石に生い靡いている玉藻はちぎれてもすぐまた生える、その板橋の下に生い茂っている川藻は枯れるとすぐまた生える。

それなのにどうして、わが皇女は、起きていられる時にはこの玉藻のように、寝(やす)んでいられる時にはこの川藻のように、いつも親しく睦みあわれた何不足のない夫の君の朝宮をお忘れになったか。

夕宮をお見捨てになったか。

いつまでもこの世にいらっしゃるお方だとお見受けしていたご在世の時、春には花を手折って髪にさし、秋ともなると黄葉を髪にさしてはそっと手を取りあい、いくら見ても飽きずにいよいよいとおしく思いになったその夫の君と、四季折々にお出ましになって遊ばれた城上の宮を、今は永久の御殿とお定めになって、じかに逢うことも言葉を交わすこともなされなくなってしまった。

そのためであろうか、むしょうに悲しんで片恋をなさる夫の君、城上の殯宮に通われる夫の君が、しょんぼりして行きつ戻りつ心落ち着かずにおられるのを見ると、私どももますます心晴れやらず、それ故どうしてよいかなすすべを知らない。

せめて、お噂だけ御名だけでも絶やすことなく、天地とともに遠く久しくお偲び申していこう。

その御名にゆかりの明日香川をいついつまでも・・・、ああ、われらが皇女の形見としてこの明日香川を」

書き出し文

「飛ぶ鳥 明日香の川の 上つ瀬に 石橋渡す 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に 生ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひをゐれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥(こ)やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉がざし 敷栲の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月の いや愛づらしみ 思ほしし 君と時時 出でまして 遊びたまひし 御食向(みけむ)ふ 城上の宮を 常宮と 定めたまひて あぢさはふ 目言も絶えぬ しかれかも あやに悲しみ ぬえ鳥の 片恋づま 朝鳥の 通はす君が 夏草の 思ひ萎びえて 夕星の か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば 慰(なぐさ)もる 心もあらず そこ故に 為(せ)むすべ知れや 音のみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く 偲ひ行かむ 御名に懸かせる 明日香川 万代までに はしきやし 我が大君の 形見にここを

197番歌

訳文

「明日香川にしがらみを掛け渡して塞(せ)きとめたなら、激(たき)ち流れる水もゆったりと逝くであろうに。<水が淀みでもすることになるであろうか>」

書き出し文

「明日香川 しがらみ渡し 塞かませば 流るる水 のどにかあらまし」

しがらみ:川の流れを堰きとめるために設ける柵

198番歌

訳文

「明日香川の名のように、せめて明日だけでもお逢いしたいと来る日も来る日も思っているからなのか、いや、もうお逢いできないとは知りながら、わが皇女の御名を忘れることがない。<これまでのように明日もお逢いしたいよ思うからか、わが皇女の御名が忘れられない>」

書き出し文

「明日香川 明日だに 見むと 思へやも 我が大君の 御名忘れせぬ」

明日香川:明日香皇女をにおわすとともに、「明日」を導く

下の本を引用しました。

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次回の記載は10月2日を予定しています。

では、この辺で。