万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

168.巻二・141、142:有馬皇子、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首

万葉集の最初の挽歌です。犬養 孝氏の「わたしの萬葉集 上巻」の「26 椎の葉に盛る」を主に引用します。

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下の本の図説も引用しました。

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「今度は有馬皇子の悲劇の歌をいたしましょう。時は斉明天皇四(658)年、11月のことです。大変複雑な事件ですから簡単に申せませんが、一言でいえば中大兄皇子さんが孝徳天皇の遺児有馬皇子を、この世から抹殺しようというわけです。そのため有馬皇子に、謀反をさせるように仕掛けて、そして逮捕したわけだ。

逮捕して、ちょうどその時、中大兄皇子さんとお母さんの斉明天皇は、今の和歌山県の白浜温泉、万葉時代は牟婁(むろ)の湯、紀の湯と申しましたが、そこへ行ってらっしゃる。そこへ連れていかれるわけです。有馬皇子は現行犯として。

それで和歌山県の岩代というところ。詳しく言えば和歌山県日高郡南部町大字西岩代というあたりですね。そこまで来た時、有馬皇子、「みずから傷(いた)みて松が枝を結べる歌」とあって、

「磐代(いわしろ)の 浜松が枝を 引き結び 真幸(まさき)くあらば また還り見む」(141番歌)もう一つは、

「家(いへ)にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」(142番歌)

笥って食器のことなんです。家にいると食器にもって食べるご飯なのに、旅に出ているから、椎の葉に盛って食べるというのが普通の解釈です。

そして事件後は、大逆罪として捕らわれの身にだ。だから椎の葉で盛って、これで食え。それで有馬皇子は、こんな飯が食えるかという怒りの歌だという説が大変多いんです。

僕は、そうじゃないと思う。これは人間の食べる御飯じゃなくて、神にお供えする御飯だということは既に唱えた人もあるんですが、僕は特に和歌山県の岩代を歩いてみて感じる。岩代の民家を全部調べました。

そうしますと、赤ちゃんが生まれて一月経って後の一日と十五日には、お宮参りをする。そのお宮参りの時に、米のだんごを二つ、一重にして、それを樫の葉に乗せて、この土地のお宮さんにお参りしているんですね。これだなと思う。こういう民間習俗は、古いものですよ。そしてその後、そういうような例が、あちらこちらにあることを見出した。

だって松が枝を結べる歌二首とあって、神にお祈りする歌二首となって、後のほうが腹立ちまぎれの歌なんておかしいですね。やっぱりこれは神にお供えする御飯。ああ家に居ると食器に盛ってお供えするのに、土地の風習に従って、こんな珍しい体験をすることによって、わが身の逆境をしみじみ思うという心でしょう。

しかもそうした主観をいわないで、客観的にいっているところがすばらしい。十九歳の青年ですよ。そういうことをいわないでね。家にあれば、旅にしあればと音楽的でもある。笥に盛る飯を、椎の葉に盛る、大変音楽的に、客観的に歌い上げている歌です。悲劇の歌だ。

さあ、有馬皇子は、その後どうなったか。許されたんでもなく、帰れというんで帰っていったんですね。そして和歌山市の南の海南市藤白坂で後からきた追って、丹比小沢連国襲(たじひのおざわむらじくにそ)という者に、11月11日に、ついに殺されるんですが、「みづから縊らしめぬ」自分で首を縊らせる。

それで終わったんですが、中大兄皇子のいらっしゃる壬申の乱までの頃は、絶対に有馬皇子を悪くいわなきゃいけなかったが、壬申の乱後は、反中大兄皇子天武天皇の時代でしょう、その事件があってから四十三年後、大宝元年、701年には、文武天皇とおばあちゃんの持統天皇とが白浜にいらした時は、まさに同情時代で、萬葉集には有馬皇子同情の歌がズラッと並んでいる。

そしてそれは江戸時代の末までです。明治からはこの間までは、またこの話はいえなかった。現在は自由になって、万葉を読んだ人はみんな、十九歳の青年が、中大兄皇子によって非業の死を遂げた。この有馬皇子への同情は、たいへん深いですね。

それでよく有馬皇子の岩代に行く。岩代は本当に景色のいいところですから、皆さん一度行って、十九歳の青年の悲劇の跡を思っていただけたらいいと思う」

引用を終わります。

なお、141番歌の題詞の「松が枝を結ぶ」は、無事・安全を祈る呪(じゅ)的習俗の一つとのことです。

最後に141番歌の訳文です。

「ああ、私は今、岩代の浜松の枝を結んで行く、もし万一願いがかなって無事でいられたなら、またここに立ち帰ってこの松を見ることがあろう」

訳文と題詞の説明は、下の本からの引用です。

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