万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

166.巻二・138、139:石見相聞歌(131~139番歌)の二首

或本の歌一首併せて短歌:

(或本:131番から133番歌に対する或本の歌、の意)

138番歌

訳文

「石見の海、この海には船を泊める浦がないので、よい浦がないと人は見もしよう、よい潟がないと人は見もしよう、が、たとえよい浦はなくとも、たとえよい潟はなくとも、この海辺を目ざして、和田津」(にきたづ)の荒磯のあたりに青々と生い茂る美しい沖の藻、その藻に、朝方になると波が寄って来る、夕方になると風が寄って来る。

その風波のまにまに寄り伏し寄り伏しする玉藻のように寄り添い寝た妻をあとに置いて来たので、この行く道の多くの曲がり角ごとに幾度も振り返って見るけれど、いよいよ高く山も越えて来た。

いとおしいわが妻が夏草のようにしょんぼりして嘆いているであろう、その角(つの)の里を見よう。靡(なび)けこの山よ」

書き出し文

「石見(いはみ)の海 津の浦をなみ 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和田津の 荒磯(ありそ)の上の か青く生ふる 玉藻沖つ藻 明け来れば 波こそ来寄れ 夕されば 風こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 靡き我が寝し 敷栲の 妹が手本(たもと)を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとにに 万たび かへり見すれど いや遠に 里離(さか)り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ はしきやし 我が妻の子が 夏草の 思ひ萎(しな)えて 嘆くらむ 角の里見む 靡けこの山

反歌一首

139番歌

訳文

「石見の海辺の打歌(うつた)の山の木の間から私が振る袖を、妻は見てくれたであろうか」

書き出し文

「石見の海 打歌の山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか」

右↑は、歌の躰(すがた)同じといへども、句々相替れり。これに因(よ)りて重ねて載(の)す。(左注)

右:138番歌、139番歌に対する編者の注。131~135番歌を念頭に置いたもの。

歌の躰:歌のさま

句々相替れり:語句があちらこちら違っている意。「相」は軽く添えた接頭語。

「この138番歌と139番歌がまず作られ、単独に披露されたらしい。

後に続編を求められて、この歌群を改作した131番歌の異文系統と134番歌とに、

135番歌から137番歌の異文系統を合わせてたものが生まれ、

再三の聴衆の求めに応じて、さらに手を加え、131番歌から133番歌と135番歌から137番歌との組が成ったらしい」と下の本で説明しています。

f:id:sikihuukei:20170828050211j:plain

下の本の、

f:id:sikihuukei:20170829033159j:plain

「・・・万葉相聞歌の最高傑作である柿本人麻呂の「石見相聞歌」は、石見国の海山を舞台に作られた。前半部に、人は石見の海浜をよい浦もよい潟も無いと見るだろうと述べ、しかしそこには美しい玉藻が青々と生えているとして、その風波に靡く玉藻を、共寝した妻に重ねて表現してゆく。そのことによって、鄙である石見の女性が、他人はいかに思おうとも、人麻呂個人にとってかけがえのない女性として立ち現れる。

万葉初期の世界において相聞の主人公は、おおむね高貴な女性であった。人麻呂の歌は宮廷のサロンで披露され受容される歌である。そのような宮人たちにとって一地方の女性の悲哀などはどうでもよいことであったろう。しかし、人麻呂にとってはその鄙の女性は別れがたいかけがいのない妻である。この歌において、初めて衆庶の女性が歌の主人公となったのである。しかも、その思い故に、古代的心情としては畏敬すべき自然に対し「靡けこの山」と命じる。・・・」を引用して、「石見相聞歌」を終えます。

島根県は一度だけ訪れたことがあるのですが、万葉の旅として、再度訪れてみたいですね。

この後の140番歌は、次回に記載予定ですが、人麻呂の妻の一人の依羅娘子(よさみのをとめ)の歌です。では、今日はこの辺で。

室温は19℃、肌寒く感じます。