万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

161.巻二・126、127、128:石川郎女、大伴宿禰田主に贈る歌一首、返歌など二首

石川郎女の歌は、歌番の107、108、109、110でも紹介しています。

以下の図とともに。

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下の本を引用して記載します。

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「皇子二人に思いを寄せられ、人によっては彼女をめぐる恋の争いを大津皇子謀反事件の背景と考えるくらいですから、石川郎女はたいへんな美女であったことは確かです。その上に彼女は、皇太子の寵愛を受けていながら他の皇子との恋に走る情熱と、それを即妙に謳いあげる才能さえ持っていました。つまりこれらの事実からは、恋に関しては積極的で行動的、そして歌づくりに関しては溢れる機知に恵まれた女性像が浮かぶ上がってきます。そして、そんな像にぴったりの「石川郎女(女郎)」がもう一人います。」

126番歌の題詞の続きで、

即ち佐保大納言大伴卿の第二子、母を巨勢亜尊臣といふ

126番歌

訳文

「みやび男と評判の田主さま。でも、ほんとうのところは評判倒れですわね。一夜の宿を貸さずに、むざむざ私を帰すなんて、あなたは鈍感なまぬけ風流人ですわ」

書き出し文

「遊土(みやびを)と われは聞けるを 屋戸(やど)貸さず われを還せり おその風流士(みやびを)」

(長い左注は省略、物語のような左注)

・・・ここ左注に126番歌を送る根拠があります・・・「・・・(老女に変装して田主の家に出かけてのやり取りを記載、石川郎女の変装と思いもよらなかった)・・・

しかたなく家にもどった郎女が、あくる朝、さっそく投げつけてやったのが126番歌です。・・・」

「そこで、さては昨夜のあのお婆ちゃん、正体は彼女であったかとさとった田主もすかさず返歌をつくり、石川郎女に届けさせました」

それが、127番歌。

訳文

「今こそ私はわかりましたよ。宿を貸さずにあなたを帰しちまった私こそ、しんじつ風流な男のだ、とね」

書き出し文

「遊土に われありけり 屋戸貸さず 還ししわれそ 風流士にはある」

「応答歌では、相手の使った語句をそのまま使うのが気のきいたこととされ、親しみぶかさの証明ともなります。石川郎女はしかし、この小癪な返歌でカッカしてしまったので、またさっそく、次の歌を贈っていくじなしの青年をからかってやりました」

128番歌

訳文

「そう言えばわたし、人の噂で聞いてましたわ。あなたの足は葦の先っぽのように弱く、ひょろついているって・・・。その通りですわね。どうぞお大事にあそばしませね。田主さま」

書き出し文

「わが聞きし 耳に好く似る 葦のうれの 足痛(あしひ)くわが背 勤(つと)めたぶべし」

諧謔に報いるに、いちだんと辛辣な嘲弄をもってしたわけです。この積極性、この機知、ここに登場する「石川郎女」が、大津皇子との恋に燃えた石川郎女と同一人物であることは疑いありません。

(下の本を思い出します)

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大伴田主は、大伴安麻呂次男。兄は旅人、弟は宿奈麻呂、そして、異腹の妹が坂上郎女です。一説に田主は、兄の旅人(六六五年生)より三歳ほど下であったといいますから、石川郎女とはほぼ同世代ということになります。また、ここに紹介した歌は持統天皇治世下(六八七~六九七)の歌群に収められているので、この時期には両者とも二十歳代、応答の雰囲気から、その後半ではなかったかと思われます」

では、この辺で終わります。