155.巻二・107~110:石川郎女をめぐる歌四首
犬養孝氏の萬葉百首上巻から引用して記載します。
なお、訳文は引用文にありますので、今回省略し、書き出し文と歌番号、犬養氏の番号、詠んだ方、そして、引用文などを記載します。
107番歌(22 山の雫)大津皇子
「あしひきの 山の雫に 妹待つと 吾(われ)立ちぬれぬ 山の雫に」
「この歌は、天武天皇の坊ちゃんの大津皇子の歌なんです。天武天皇と大田皇女という方、この方はお兄さん中大兄皇子のお嬢さんですが、その間に生まれた坊ちゃんで、お姉さんは大伯皇女というんですね。
それからまた天武天皇の別の奥さん、それは大田皇女の妹にあたる鵜野皇女、この人との間には草壁皇子という方がいらっしゃる。それで鵜野は皇后さんですから、草壁皇子は天武の十年、681年に、皇太子となる。当然ですね。
ところが天武さんは、大津皇子がとても好きなんですね。
・・・それから・・・天武天皇の十二年に、大津皇子に政治を執らすこととなる。こうなると二人は反目するでしょう。・・・鵜野皇女、これはいかんぞ、お父ちゃん大津皇子を好きなんだとにらんでいる。これが悲劇のもとになるんですね。
その大津皇子の人柄を書いたものは、「日本書紀」と「懐風藻」といって、当時の漢詩集ですね、それにじつにうまく書いてある。すばらしく誉めている。今、両方合わせていってみましょう。こう書いてあるよ。
男性的で、頭がよくって、言葉がはきはきして、
・・・(誉め言葉が続きます)・・・
こんな褒められている人いない。だから優秀な青年ですね。小英雄の面影があったんでしょうね。
それでこの人が二十歳前後頃に、恋愛をするんです。石川郎女という人とね。そこで石川郎女と約束しました、山で会いましょうということでしょう。ところが石川郎女、山で待ってもこないんですね。
あしひきのという枕詞も、とてもいい。あしひきの、夜の暗いところで、山がフワリとある感じ。
あしひきの山には雫がないでしょう。木の雫ですが、それを山の雫といったのは、うまいですね。夜のすごい感じまで出てくる。
山の雫に、わしはお前を待つというわけで、立ち濡れていたよ。山の雫に濡れてさ。
これも二句目と五句目を繰り返して波ですね。山の雫に濡れていたよ。お前さんを待つというわけで、濡れていたよ。山の雫にさ。
そうすると女の方は、」
石川郎女、和(こた)へ奉る歌一首
108番歌(22 山の雫)
「吾(あ)を待つと 君がぬれけむ あしひきの 山の雫に ならましものを」
「うまいですね。私を待つというわけで、あなたはお濡れになったそうね。お濡れになった山の雫になりたかったわ。
どうも女の方が歌がうまいみたいですね。達者ですよね。だからこんな歌をもらったら、男はたまらなくなりますよ。だって今、濡れているのに、山の雫に濡れたよといったら、あなたがお濡れになった山の雫になりたかったわという。この濡れているところに、彼女を感じるようでしょう。だから二人は、ついに共寝をした。
そうしたら共寝をしたのを、津守連通(つもりむらじとおる)というのが暴露するわけですね。そして暴露したら、大津皇子は豪放な人ですから、」
109番歌(22 山の雫)
「大船の 津守の占(うら)に 占(の)らむとは まさしに知りて わが二人寝し」
「お前さんの占いに現われ出ようなんて、百も承知のうえで、愛し合う二人は、二人とも共寝をしたぞ。
ずばり居直っちゃうんですね。すごいでしょう。ところが石川郎女って大事な人なんだ。実は草壁皇子の愛人であった。えらいことになったでしょう。
だから万葉集には、「ひそかに婚(あ)ひし時」とかいてある。こっそり会った時に。ところが暴露されたっから、今度は居直っちゃって、「わが二人寝し」何が悪い、愛し合う二人、こういうふうに歌っているんですね。これはおそらく、僕の想像よ、鵜野皇女が、この大津皇子を政界から失脚させようとする一つの手だてであったと思う。しかし歌はすばらしい恋愛贈答歌ですね。
だって愛情を、普通ならば今日は、私はあなたを愛していますよという、ところがここではそんな言葉なんか一つも使わないでしょう。
わしは、あしひきの山の雫に濡れていたよ。お前さんを待つというわけで濡れていたよ。そしたら女のほうは男の言葉をちゃんとつかんで、私を待つというわけで、お濡れになったそうね。お濡れになった山の雫になりたかったわ。ものすごくコケティッシュな表現をする。だから男性、たまらなくなるんですね。
万葉の恋の歌というのは、たくさんあるんだけで、みんな観念的ではないんです。具象的に。だから千三百年経っても、この歌なんかもすばらしく生きるわけですね。じゃうたってみよう」と。
長くなりましたが、引用を終わります。
黒岩重吾氏の下の小説では、110番歌が、107番歌と108番歌の後に出てきて、その後に109番歌が出てきます。
では、110番歌書き出し文
題詞に「日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと:草壁皇子のこと)、石川郎女に贈り賜ふ御歌一首」と。
書き出し文
「大名児(おほなこ)よ 彼方(をちかた)野辺(のへ)に 刈る草(かや)の 束(つか)の間も 我れ忘れめや」
石川郎女の本名以外の名が、大名児です。これにこたる歌は、万葉集にありません。
訳文
「大名児よ、彼方の野辺で刈るかやの一束の、そのつかの間も私はお前を忘れるものか」
黒岩氏は小説の中で、以下のように記載しています。
「この草壁の歌はあまりにも単純で何の深みもない。草壁が凡庸な人物であることは、この歌からも窺われる」と。
このあとに
「それに対し大津の歌は、艶と迫真力に満ちているだけでなく、現在おかれている大津の立場が滲み出ている。大名児の歌には生々しいまでの情艶と、大津の身に対する危惧の念、深い捨身の愛情が読み取れる。
天武天皇が病み、大津の立場が急変したことを大名児はよく知っており、大津の悩みをできれば自分が被りたい、と訴えているのだ。しずくをたんに男女の愛情だと解釈してはならない」と。
では、今日はこの辺で。