万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

151. 巻二・96~100:久米禅師、石川郎女を娉(よば)ふ時の歌五首

杉本氏の本を引用しました。

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天智天皇の近江朝時代(667~671)につくられた歌です。石川郎女は、恋多き謎の女で、生没年も出自もわからないので、石川郎女の「謎」を解く鍵は、もちろん歌や題詞、左注にしかありません。つまり、彼女がどんな時に、どんな人物と交渉をもち、どんな内容の歌を詠んでいるか、ということですね。

(本では、その要約が記載されていますが、省略します。歌が記載された番ごとに紹介したいと思います)

ただ、上の図がその要約にあたります。四人の石川郎女が出そろっています。

大津皇子と恋に燃え、大伴田主と「遊士(みやびを)」門答を交わし、大伴宿奈麻呂に誘いをかけた奔放で才気溢れる第一の石川郎女

久米禅師とほほえましい恋物語を演じた素朴な第二の石川郎女

夫に離別され、深い嘆きと悲しみを歌った第三の石川郎女

名家大伴家の大刀自として、また坂上郎女の母として、さらには高位の女官として、正統に生きた第四の石川郎女

もちろん、これは一応の色分けです・・・と、けれども、こうして歌を通じて、さまざまな角度から古代女性の生き方に触れてみる、これも万葉集を読む大きな愉しみの一つではないでしょかと記載して、第七章 石川郎女を終えています。

永井路子氏の下の本では、第一、四の石川郎女の小説ではないかと思われ、映画を見ているような臨場感があり、一気に読み終えました。第二項の「裸足の皇女」から第七項の「古りにしを」です。

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では、久米禅師との牧歌的な恋の駆け引きのをしている歌五首です。杉本氏の本からの引用です。

96番歌(禅師)

訳文

信濃産の弓を引くように私があなたを引き寄せたら、あなたは淑女ぶって、きっと「いやよ」と言うのでしょうね」

書き出し文

「み薦(こも)刈る信濃の真弓わが引かば貴人(うまひと)さびていないと言はむかも」

97番歌(郎女)

訳文

「弓を引きもしないで、弦の張り方を知っているなどとおっしゃるものではありませんわ」

書き出し文

「み薦刈る信濃の真弓引かずして弦(を)はくる行事(わざ)を知ると言はなくに」

98番歌(郎女)

訳文

「梓(あずさ)弓を引くように本気で私を引き寄せてくださるなら、寄り添いもしましょうけど、その後のあなたの心を知ることができないのが、私にはとても不安なのですよ」

書き出し文

「梓弓引かばまにまに依らめども後の心を知りかてぬかも」

99番歌(禅師)

訳文

「末の末まで自分の心がかわらないと確信しているからこそ、私は梓弓に弦を張って引くんじゃありませんか」

書き出し文

「梓弓弦(つる)緒(を)取りはけ引く人は後の心を知る人そ引く」

100番歌(禅師)

訳文

「なにしろ貢物を入れた東国人の箱の緒のようにしっかりと、あなたって方は私の心にくいこんでしまったんだものなあ」

書き出し文

「東人の荷向(にさき)の篋(はこ)の荷の緒にも妹は心に乗りにけるかも」

じつにのどかで、ついほほえんでしまうような掛け合いです。「弓を引く」「弦を張る」に込めた意味も、いかにも初期万葉らしく素朴だし直截的。しかも歌謡風な味わいもあります。題詞によればこの二人、めでたく結婚したようですから、おめでとうと言ってあげたくなります。

けれども、石川郎女を検証する立場から言えば、彼女は大津皇子・大伴田主・大伴宿奈麻呂と交渉のあった石川郎女ではないようです。この娘さんの素朴、純情、受け身という愛すべき性格は、これまで見て来た(第一の石川郎女のことで、歌を紹介する時に記載したいと思います)石川郎女の性格とは全然ちがうものだし、それに、時代もすこしはやいようです。結局、もう一人、別の石川郎女がいたということでしょう。

(第三の石川郎女に続く)

引用を終わります。

では、今日はこの辺で。