143.巻一・81、82、83:和銅五年壬子の夏の四月に、長田王を伊勢の斎宮に遣わす時に、
81番歌
訳文
「山辺の御井を見に来て、はからずも、内心見たいと思っていた伊勢おとめにも逢うことができた」
書き出し文
「山辺の 御井を見がてり 神風(かむかぜ)の 伊勢娘子(をとめ)ども 相見(あひみ)つるかも」
御井の水を汲む清浄なおとめを見ることができた感激を述べた歌。また、地名を含んでその土地を誉める歌でもあるとのこと。
82番歌
訳文
「寂しい気持ちがしきりにする。(ひさかたの)天の時雨が降ってくるのを見ると」
書き出し文
「うらさぶる 情(こころ)さまねし ひさかたの 天(あめ)の時雨の 流(なが)らふ見れば」
旅の愁いを歌った作。歌の形は、倒置はあるものの、「(景物)見れば(心情)」という、万葉の嘱目(しょくもく)歌の典型である。しかし、羈旅の歌、地名を含んでその土地を誉める歌(81番歌はその類型)、家郷を偲ぶ歌(83番歌)とがほとんどであるが、82番歌はそのいずれにも該当しない点で珍しい。三首組で作られたためであろうと。雨が降るに「流る」を用いるのは稀であるが、そぼふる時雨に相応しい。漢語の「流雪」などに学んだ可能性があり、「風流侍従」と呼ばれた長田王らしくもある。ただし、通常晩秋から冬の素材である「時雨」が、題詞の「夏四月」に合わないことから、左注(83番歌の後に記載)は、この歌を、その場で歌われた古歌ではないかと疑っている。
83番歌
訳文
「沖の白波が立つ、その立つという名の龍田山をいつ越えられることか。早く妻の家のあたりを見たいものか」
書き出し文
「海(わた)の底 沖つ白波 龍田(たつた)山 いつか越えなむ 妹があたり見む」
右の二首は、今案(かむが)ふるに、御井にして作るところに似ず。けだし、その時に詠む古歌か。
龍田山は奈良県生駒郡にあり、奈良の西南で、伊勢から都への道筋にはない。大阪府との境に近く、難波から大和への官道が通じていた。83番歌は、前歌同様古歌であろう。もと海路で家を偲んだ歌か。
海の底:「沖」の枕詞。
今日は下の本を参考に読みました。
犬養氏の本では、15「うらさぶ情さまねし」を一読しました。
さらに、訳文や書き出し文などでは下の本も一読しました。
いよいよ巻一はあと一首です。では、また。