万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

142.巻一・79、80:或本、藤原の京より寧楽に遷る時の歌

79番歌

訳文

「我が大君のお言葉を恐れ謹んで、なれ親しんだわが家をあとにし、泊瀬の川に舟を浮かべて私が行く川、その川の曲り角、次から次へと曲り角に行きあたるたびに、何度も振り返ってわが家の方を見ながら、進んで行くうちに日も暮れて、奈良の都の佐保川にたどり着いて、衣をかけて仮寝をしているところから、明け方の月の光でまじまじ見ると、あたり一面、まっ白に夜の霜が置き、岩床のように厚く固く川の水が凍り固まっている、そんな寒い夜を休むこともなく通い続けて作った御殿に、いついつまでもお住まい下さいませ、わが君よ、私どもも通ってお仕えいたしましょう」

書き出し文

「大君の 命畏(みことかしこ)み にきびにし 家を置き こもりくの 泊瀬(はつせ)の川に 舟浮(う)けて 我が行く川の 川隈(かわくま)の 八十隈おちず 万たび かへり見しつつ 玉鉾の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜(あさづくよ) さやかに見れば 栲(たへ)のほに 夜の霜降り 岩床と 川の氷凝(ひこご)り 寒き夜を 休むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに いませ大君よ 我れも通はむ

80番歌

反歌

訳文

「奈良のこの御殿には私どももいつまでも通い続けましょう。決して忘れるものとはお思い下さいますな」

書き出し文

「あをによし 奈良の家には 万代(よろづよ)に 我れも通はむ 忘ると思ふな」

右の歌は、作主まだ詳(つばひ)らかにあらず。

79番歌の説明

奈良遷都に伴い、藤原京にあった皇子などの家を解体して水路奈良に運び移築した工匠たちが、完成の室寿(むろほ)ぎ(家屋の無窮を予祝する儀礼)などの場で歌ったものか。讃め歌の型の一つとして道行きの表現をとっている。次々に地名を並べあげることは、古代人にとって、その地を讃え、鎮めることを意味した。

こもりくの:泊瀬の枕詞。45番歌を参照。

玉鉾の:「道」の枕詞。玉鉾は悪霊の侵入を防ぐため、道に立てた桙状の柱。

栲のほ:栲は白布。ほは秀でていることで、白さを強調するために用いた。

岩床:岩盤。

80番歌の説明

作主:作者名を記したのと同じ意味を持つのだそうです。「古今集」の「読人しらず」にあたるとのこと。

今日も下の本を参考に、二首読みました。

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では、今日はこの辺で。