137.巻一・64、65:慶雲三年丙午、難波宮に幸せる時に、志貴皇子の作らす歌
64、65番歌は、この行幸時の歌。慶雲(きやううん)三年(706)丙午(へいご)、行幸は9月25日から10月12日のこと。
64番歌
訳文
「葦辺(あしへ)を行く鴨の翼に霜が降って、寒さが身に染みる夕暮れは、大和に残してきた妻がしのばれる」
「・・・水辺に大群落をなす葦は、「葦が散る難波」(巻二十・4331など)といわれるように難波の情景である。「葦辺行く」とは、鴨が葦のあいだに浮かび行くことを言う。その鴨の翼に、霜が置くというのは、もとより実景ではない。・・・
・・・冬の旅を鴨に託して歌っているとのこと。・・・
旅に逢って家・妻を思う定型の中にあるが、上三句が冬の旅の印象を決定づける。とのこと。
なお、犬養氏の本の14「鴨の羽交(はがひ)」も一読して、記載しています。
書き出し文
「葦辺行く 鴨の羽(は)がひに 霜降りて 寒き夕(ゆふへ)は 大和し思ほゆ」
65番歌
長皇子の御製
訳文
「霰(あられ)の降る安良礼(あられ)松原は、住吉の弟日娘子(おとひをとめ)と同じに、いくら見ても見飽きないことだなあ」
64番歌の妻に対し住吉の娘子を出し、行幸の地をほめ讃えた歌とのこと。
書き出し文
「霰打つ 安良礼松原 住吉(すみのえ)の 弟日娘子と 見れど飽かぬかも」
「霰打つ:同音の「安良礼松原」をほめた枕詞。霜に対応。松原は大阪市住吉付近か。
弟日娘子と:住吉の遊行女婦人(うかれめ)か。「と」は並立を示すが、ともに、の意もある。」
「また、集中に四十例を数える難波は、奈良県以外では最も多く歌われた地名であるという。
・・・萬葉の故郷、万葉故地ですね。万葉の故郷といっても間違いない「飛鳥」でさえ三十五例である点を思うと、やはり「難波」は有数の万葉故地である。・・・」
下の本を引用しました。
では、今日はこの辺で。