万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

134.巻一・57~61:二年壬寅に、太上天皇、三河の国に幸す時の歌

行幸は、十月十日から十一月二十五日、この五首は行幸時の歌

57番歌

訳文

「引馬野に美しく色づく榛(はんのき)の原、そこに入り乱れて衣を染めなさい。旅の記念に」

書き出し文

「引馬野(ひくまの)に にほう榛原(はりはら) 入り乱れ 衣にほはせ 旅のしるしに」

右の一首は長忌意吉麻呂(ながのいみきまろ)。

58番歌

訳文

「今頃どこに舟は泊まっているだろう。阿礼(あれ)の崎を漕ぎ巡って行ったあの棚なし小舟(をぶね)は」

書き出し文

「いづくにか 舟泊(ふなは)てすらむ 安礼の崎 漕ぎたみ行きし 棚なし小舟」

右の一首、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)

59番

誉謝女王(よざのおほきみ)が作る歌

訳文

「絶え間なく横なぐりに吹き付ける風の寒い今宵、私のいとしいあの方は独り寝をしていらっしゃることであろう」60番歌

長皇子の御歌

訳文

「宵に共寝をして、翌朝恥ずかしさに面とむかえず隠るという、その名張で、妻は何日も忌隠(いみごもり)をしていたのだな」

書き出し文

「宵に逢ひて 朝面(あしたおも)なみ 名張にか 日(け)長く妹が 廬(いほり)せりけむ」

61番歌

舎人娘子(とねりのをとめ)、従駕(おほみとも)にして作る歌

訳文

「ますらおが矢を挟み持ち、立ち向って射る的、その名の円方(まとかた)浜は見るからに清々しいことだ」

書き出し文

「ますらをの さつ矢手挟(たばさ)み 立ち向ひ 射る円方(まとかた)は 見るにさやけし

国誉めの歌。「伊勢風土記逸文に景行御製として、下三句「向かひ立ち射るや円方浜のさやけさ」とある。

以下にこの本を引用します。頁218

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これらの歌は持統太上天皇三河行幸した折の歌である。尾張・美濃・伊勢・伊賀等の国を経過しており、十年前の持統六年(692)三月の伊勢行幸の経過地とかさなる。

・・・中略・・・

この旅の行幸はさらに十年を経ての行幸で、農作の節を避けての行幸であった。持統は帰京後一月足らずの十二月二十二日に崩御する。おそらく死を覚悟しての行幸であったといえよう。

・・・なお、訳文と書き出し文は下の本を引用しました。

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58番歌は、犬養氏の本も読みました。13の棚無小舟です。

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では、今日はこの辺で。