123.巻一・34:紀伊の国に幸(いでま)す時、川島皇子の作らす歌
或いは「山上憶良作る」といふ
34番歌
「白波の 浜松が枝 手向けくさ 幾代(いくよ)までにか 年の経(へ)ぬらむ」一には「年は経にけむ」といふ
左注
「日本紀には「朱鳥(あかみとり)の四年庚虎の秋の九月に、天皇紀伊の国に幸す」といふ」
<歌意>
(白波の寄せる浜辺の松の枝に結ばれたこの手向けものは、結ばれてからもどのくらい年月がたったのだろう)
下の本を引用します。
自分たちと同じくここで旅の安全を祈った昔の人の手向けくさを見て、その古人に年月を越えて共感した心を歌った歌のようです。作歌の場所を岩代(巻一・10参照)と見、有馬皇子(巻二・141、142これから記載予定)を心に持っての作とする説もある。1716番歌に小異歌があり、そこには「山上の歌」とある。また、「歌経標識」には角妙弥(つめのきみ)の作として見える。
有馬皇子自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首(141番歌と142番歌)と有馬皇子の変について、後に記載したいと思います。34番歌につて解説した本は、二冊しかないので、記載はここまでとします。四時を過ぎました。