120.巻一・28:天皇の御製歌
28番歌「春過ぎて 夏来(きた)るらし 白栲(しろたへ)の 衣干したり 天(あめ)の香具山(かぐやま)」
万葉仮名
「春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山」
<歌意>
(春が過ぎて夏がやってきたらしい。あの天の香具山にまっ白な衣が干してあるのを見ると)
持統天皇の季節が変わる一瞬を詠んだあまりにも有名なお歌ですね。坂本信幸氏は、「白たへの 衣」が何を表しているかは、いまだに解決していないと万葉の旅大和編の大和三山で述べています。
万葉集にいろいろな解釈があることを興味のおもむくままいろいろ本を読んで知ったのです。その本が下です。
頁162に、{「春過ぎて・・・」は、実は「天下取りの歌」だった}の項がり、異なる解釈が記載されています。で、小林氏の記載を少し引用します。「・・・この歌は教科書にも出ている「萬葉集」の中でも一、二を争う有名な歌だが、「萬葉集」での有名な歌は、歌の良し悪しよりも政治的に重要な意味を秘めている歌が多いようである。
この歌は私の考える持統天皇、つまり高市皇子の歌なのである。それは歌の内容がわかる。表の意味は「春が過ぎて夏が来たらしい。真っ白の衣を乾している天の香具山」と、いかにも平凡で、のどかな風景を率直に歌った歌に見えるし、一般的にそのように解釈されている。しかし、為政者は常に危険と背中合わせで、のどかな風景とは無縁である。
最初の「春」は五行思想でいう天武天皇の季節である。「夏」は木徳の次にくる火徳の季節で、おそらく大津皇子朝いう。白はもちろん天智朝の色、ここに「衣乾有」と「干す」に「乾」の字を使っている。「乾」は方向で西北、立冬で冬に近い。冬は水徳である。したがって、この歌は「木」「火」「金」「水」が織り込まれている。
・・・中略・・・
・・・香具山に「天」ついている。・・・
香具山もすべての歌で「天の香具山」と歌われいるわけではない。「天」のつく香具山の歌は、歌った人物が倭国の主、つまり天皇になったという即位宣言の意味を込めているようだ。
・・・中略・・・
「天の香具山」と最初に歌ったのは舒明天皇だから、連続する皇統という高市皇子の自負が見えてくる。この歌を意訳すると、「天武朝の春が過ぎて、大津皇子の夏が来たが、結局、白の天智朝の私が天下人になった」となる。
この歌の後に柿本人麻呂の29番歌が続く。・・・人麻呂は・・・高市皇子の忠臣だった・・・反天武天皇側である。・・・人麻呂は宮廷歌人として、高市皇子をはじめ、数多くの皇族の挽歌を作りながら、天武天皇の挽歌は歌っていないのである。と。
引用を終わります。
小林氏の本はあと二冊読んでいます。ますます万葉集に興味を持ちました。
歌の解釈から離れ、万葉集の時代区分に。小林氏は最初の本の中で白川静氏の著書「後期万葉論」を引用して、天智朝(日本書記によると・・・661~671年)以前の歌はすべて「萬葉集」成立の時点で記録されたもの・・・それまでの歌は・・・口伝された歌謡や、神に捧げた呪歌が伝承されたものである。
・・・万葉仮名で記された「古事記」の発案が天武朝(日本書記では672~686年)であり、成立が和同五(712)年という時期からみて、歌が万葉仮名で記録されるようになったのは661年以後と見る白川氏の意見はほぼ妥当であろう。と。
白川氏の二分期を支持して記載しているようです。
白川氏の後期万葉論の最初で「分期について」記載しています。四分期、三分期、二分期などなど。
また、万葉集の時代区分については下記の本も一読しました。
美しい写真とわかりやすい文で、楽しく読みました。
「万葉集」の和歌が作られたのは、大化の改新とよばれる政変があった大化元年(645)から、奈良時代の中ごろ、天平宝字三年(759)までの115年間である。ほぼ120年かになる。そのうえ都合がよいことに、全体をおよそ三十年ずつの四つの時期に分けることができる。
第一期 飛鳥万葉 645年から 大化の改新
第二期 白鳳万葉 672年から 壬申の乱
詳しくは一読を。
少し疲れてきましたのでこの辺で、歳ですね。
中西氏の本は、下の二冊を読み、参考にしています。集を読み進むにはいろいろの方の本が必要ですね。
小・中学生向きかな、読みやすいです。
一般大人向けの本です。貝の記載もあり、HP編集上購入、参考になりました。
そのほかに時々参考にした二冊。
萬葉集の奥が深く、多くの本が出版されています。そのほんの一部ですが、読んでみて万葉集は面白いですね。本の紹介でブログを終わります。そろそろ四時ですね。