万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

114.巻一・19:井戸王の歌、額田王の近江遷都の歌(17番と18番歌)に即ち和(こた)ふる歌

19番歌

「綜麻形(へそかた)の 林の前(さき)の さ野榛(はり)の 衣(きぬ)に付くなす 目に付く我が背」

右(上)の一首の歌は、今案(かんが)ふるに、和ふる歌に似ず。ただし、旧本にこの次に載せたり。故以に猶し載せたり。

<歌意>

(綜麻形の林、その林の真ん前に生える榛(針)が衣についてしまうように目に焼き付いてどうしょうもないあなたよ)

(右(上)の一首は、今考えると、和する歌には似ていない。ただ、旧本にこの次に載せているので、猶、そのままに載せておく)

参考にした本

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頁134と135参照のこと。

本では、「17番歌と18番歌を遷都の歌として見ると、この歌は「和ふる歌」に似つかわしくない。しかし、たとえば反歌(18番歌)は恋歌としての読みも許容してしまう」

ここで巻十二・3032を上の本では引用し、

「君があたり 見つつも居らむ 生駒山 雲たなびき 雨は降るとも」(作者未詳)

「この歌(3032)と額田王の歌とは確実に響きあう。とすれば、井戸王の歌は、三輪山の神のように毎晩通って来てくれる、愛しいあなたが目について離れないと和したことになる。歌は、歌い手や歌われた状況によってさまざまな姿を我々に見せる」(和:唱和)

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上の中西氏の説明も一読したい。頁58を。「「・・・和ふる歌に似ず」の注として、17、18に対して19が和歌らしくないの意。とし、両者を男女の贈答と見た疑問か。ただし、これは即座に王の歌に唱和した歌で、追和、追同の歌に同じ。王が三輪山との惜別を歌って、行途の無事を歌って、行途の無事を祈ったのに対し、この一首は心を合わせて、一行の主たる天智天皇をたたえて祝福した歌」と。

19番歌を読んでいて、何か心に残らい気がします。

で、ブログでは、別に114.として19番歌を記載しました。本来は、17、18、19番歌は、同じ113.に記載すべきかもしれません。

今、上の「万葉の旅 大和編」のきれいな写真を見ながら、「歩いてきた道を振り返ると、三輪山が大きくそびえる」写真を。

・・・額田王三輪山ひいては飛鳥との別離の思いをこめてうたった歌(17、18番歌)・・・との本の説明文を記載して終わります。