万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

109.巻一・9:紀伊(き)の温泉(ゆ)に幸(いでま)す時に、額田王が作る歌

「莫囂円隣之大相七兄爪謁気 我が背子が い立たせりけむ 厳橿(いつかん)が本(もと)」

<歌意>

(莫囂円隣之大相七兄爪謁気 わが君がお立ちになったであろう、その聖なる橿の木の根元よ)鎌倉時代の仙覚以来、さまざまの読み方が試みられているが、まだ定訓とよぶべきものがないという。背子:普通、女性から親しい男性を呼ぶ言葉。囂(きょう、ごう、かまびすし)和歌山県白浜温泉とくに湯崎温泉。斉明天皇の紀の温泉への行幸は、7番歌(ブログの題では巻一・7と記載し、番歌を省略:中西氏の記載にしました)の左注の行幸、658年10月から659年正月3日までのものが、日本書紀に見えるが、天皇は西征後九州に崩じ8番歌以後の紀の温泉行幸はないという。この点、12番歌まで、年代上は8番歌より前に前になるあるはず。

この部分の説明は中西 進氏の万葉集全注原文付(一)頁53を参照。

「夕月の仰ぎて問ひし」(仙覚妙)仙覚上人以来の、多くの読み方を紹介しています。

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