108.巻一・8:額田王:潮もかなひぬ
額田王が歌
「熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出(い)でな」
<歌意>
(熟田津で、船出をしようと月の出るのを待っていると、月も出、潮の具合もよくなった。さあ、今こそは漕ぎだそう)
苦手であった高校の古文で取り上げられたと記憶しています。今は、好きな歌です。巻一・20の歌も。
倭国内で皇位継承をめぐる争いを繰り広げていた六世紀から七世紀にかけて、大陸でも激しい勢力争いが行われていた。・・660(斉明6)年、百済が唐と新羅の連合軍に滅ぼされた。すると鬼室福信(きしつふくしん)を中心とすた遺臣たちは、大和朝廷に人質にとられていた皇子・豊璋(ほうしょう)を擁立して百済を復興しようと、倭に救援を求めてきた。この時の実質的な執政者は中大兄皇子で、この要請を受け、ただちに救援を送ることにした。
661(斉明7)年正月六日、斉明天皇一行は百済救援のために難波津を出港、九州へ向かった。十四日には伊予(愛媛県)の熟田津の石湯(道後温泉)に到着、那の大津(博多湾)についたのは三月二十五日だったという。熟田津出港の際に、額田王が詠んだと伝えられる歌。額田王の代表作で初期万葉の傑作とされる。ただ注釈には、「斉明天皇御製」とあり、額田王が全軍の指揮者である女帝になり代わり詠んだものとのこと。
・・・・一行が博多湾に到着してから四か月後、斉明天皇崩御。中大兄皇子は称制して百済に出兵。皇太子として皇位につかなかったのは孝徳天皇崩御につづいて二度目
。・・・
犬養氏の万葉百首の2首目の歌です。氏の解説が面白く、やはり最後は、「じゃあうたってみましょう」です。
ほかに参照した本です。
(さあ、潮が満ち、月が出た。順風も吹きはじめたぞ。船団は帆を張れ、出発ツ、進行!)
牧野貞之氏のきれいな写真とともに読んでみました。
その他の本