万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

105.巻第一・3,4:中皇命(なかつすめらみこと)・反歌

<雑歌>

 天皇、宇智の野に遊猟(みかり)したまふ時に、中皇命の間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして献(たてまつ)らしめたまふ歌

「やすみしし 我が大君の 朝(あした)には 取り撫でたまひ 夕べには い寄り立たしし みとらしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の 音すなり 朝狩に 今立たすらし 夕狩に 今立たすらし みとらしの 梓の弓の 中弭の 音すなり」

反歌

「たまきはる 宇智の大野に 馬並(な)めて 朝踏ますらむ その草深野(くさふかの)」

<歌意>

(わが大君が、朝には手に取ってお撫でになり、夕方には側に寄り立たれたご愛用の梓の弓の中弭の音がする。朝の狩りを今なさっているらしい。夕べの狩りを今なさっているらしい。ご愛用の梓の弓の中弭の音がする)

反歌長歌の要点を反復する歌の意とも、長歌とは調子を反(か)えて歌う歌の意ともいう短歌形式が普通とのこと)

(この朝、宇智の原野で、馬を並べて今しも踏み立てておられるであろう、その草深い野よ)

2008年の年に飛鳥を訪れました。その際に犬養万葉記念館で購入したのが下の本です。

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万葉集を愛し、万葉風土学を提唱した犬養 孝氏の歩みを記録した記念館で購入しました。

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第一首がこの歌でした。記念館で万葉百首を読まれる犬養 孝氏のCDを購入し、時々聞いています。

「・・・作者は中皇命ですが、諸説あるようです。・・・中皇命は、たぶん舒明天皇も皇女、間人皇女という人だと思われ、また、皇后という説もあるんですと述べられている。

皇后さんとして、夫の背の君の天皇様が、たくさん獲物があるようにの気持ちをいっぱいに持った歌だと。そう考えておこうと。「たまきはる」は、宇智の枕詞で、地名。・・・地名は地霊ですね。・・・枕詞でほめたたえている。・・・何とさわやかな、何て気持ちよいすばらしい歌でしょうか。・・・たくさんの狩りの獲物が、あることを祈る心持ちがいっぱいですね。それでしかも実景に即している。ここの宇智の大野ってどんなとこでしょう。これはね、吉野川のほとりだという説もあるが、僕はそう思わない。これはね、やはり金剛山の麓のところですね。いま、「北宇智」という駅がありますが、JRの駅。その西側一帯のひろーい高原ですよ。だからあそこに立ってみてこの歌をうたってごらんになるとね、ほんとうに生き生きと舒明天皇さんの狩りの場面が彷彿と躍り出してきますよ。それじゃもう一度うたってみましょう」

この本で、万葉集は声を出してうたわないとだめと教わりました。一緒に声を出して歌いましょう。

舒明天皇が狩りをした時に、間人連老をして、中皇命が献ったうたであるようですが、作者について諸説あるようです。舒明天皇の皇女で、天智天皇天武天皇とも同母(皇極・斉明天皇)の、間人皇女のことと考えられる。間人氏に養育されたことから間人皇女と呼ばれるのであり、ここに間人連老のかかわる所以であると。長歌(三歌)は、狩りへの出発を梓の弓の音によって歌っている。弓の愛用の主舒明天皇と、聞く者とはたしかにつながっているもであると。出発の儀礼というような場に帰して見るのでは、この歌の本質からずれてしまうであろうと。

反歌(四歌)は、長歌とは時点が異なる。狩りする現在をおもいやっているのであると。・・・そこには舒明天皇とのたしかなつながりであろうと。・・・個に帰される歌とは異なる、そうした歌のありようを、わたしは(神野志隆光氏)共有と呼びたい」

最後にもう一度声を出して歌いましょう。

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犬養万葉記念館へのいざない、展示・ビデオ、先生の部屋、ふれあい、万葉の旅、先生の取材ノート、万葉の旅の直筆原稿などが記載されています。