万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

89.万葉集に詠まれている蝶:新蝶

 今朝(2014年7月2日)、小樽の裏山の北米原産のヒメジョオンを撮った後に、

f:id:sikihuukei:20140702115430j:plain

f:id:sikihuukei:20140702185314j:plain

f:id:sikihuukei:20140702115313j:plain

庭の独活、北あかり(ジャガイモ)、豌豆などの花を撮っていました。その時、スジグロシロチョウモンシロチョウが豌豆に、貴重種ウラナミアカシジミ名のわからない蝶が北あかりに羽を休めました。で、比較的容易に、撮ることができました。

f:id:sikihuukei:20140702121230j:plain

f:id:sikihuukei:20140702185518j:plain

f:id:sikihuukei:20140702185553j:plain

f:id:sikihuukei:20140702121142j:plain

 蝶は、おもに春から夏の虫と思うのです。花や風景に蝶が舞うとそれだけで花や風景をより美しいもののしてくれます。

 蝶、胡蝶、黄蝶、蜆蝶、小灰蝶、蝶々、てふてふ、双蝶、春の蝶、眠る蝶、粉蝶、紋白蝶、揚羽蝶、揚羽、鳳蝶、なみあげは、からちょう

などなど、多くの言葉があるようです。

 そして、俳句にも多く詠まれているので、万葉集にも多く詠まれていると思ったのです。

 でも、集中に一首も詠まれていないのです。

 ただ、大伴旅人の邸宅で詠んだ梅花の歌三十二首の序に「庭舞新蝶」と記載されているだけなのです。

巻5・815から三十二首です。

なぜ歌は集中にないのだろう。

では、序について。

梅花の歌三十二首 あはせて(漢字変換できず)序

天平二年の正月の十三日に、帥老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。

・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・

庭には新蝶舞ひ、空には故雁帰る。

(庭には春生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋来た雁が帰って行く)

・・・・・・・・・・・後略・・・・・・・・・

巻5・815の歌

「正月(むつき)立ち 春の来たらば かくしこそ 梅を招(を)きつつ 楽しき終(を)へめ」    大弐紀卿

(正月になり春がやってきたなら、毎年このように梅の花を迎えて、楽しみの限りを尽くそう)

巻5・816の歌

「梅の花 今咲けるごと 散り過ぎず 我が家の園に ありこせぬかも」    小弐栗田太夫

(梅の花よ、今咲いているように散り過ぎることなく、この我らの園にずっと咲き続けてほしい)

万葉時代に外来植物の梅は、珍重なものととされたのでしょう。今では、日本古来の植物のようです。

太宰府の旅人宅に開花した梅を囲む雅宴の歌なのですが九州ではもう蝶が舞っていたのですね。

ここ小樽では真冬雪の季節が始まったばかりで、晩春から初夏には庭にも蝶が訪れます。

花にはやはり蝶が似合います。

万葉集には詠まれていないのですが、独活がかなり大きくなりました。

右後方に都忘れが咲いています。

f:id:sikihuukei:20140702115512j:plain

枝の途中からなので雄花かな。花芽が出てきました。

f:id:sikihuukei:20140702115612j:plain

f:id:sikihuukei:20140702115645j:plain

雌花の花序は枝先につき径が3~4cm、雌花は径3~5㎜、5枚の花弁は開花とともに落ちるとのことです。道内の花の時期は7月下旬から8月です。 

 姫女菀(ひめじょおん)が道内に分布を拡げ、道端に蝦夷の太古太鼓から咲いているように咲いています。北海道開拓初期の木々や花々は、たぶんあまり見られなくなった木々や花々なのでしょう。

これらの木々や花々が咲くのは、どのような風景だったのだろう。

花々も鈴蘭、水芭蕉、片栗、白根葵、蝦夷延胡索、延齢草、深山延齢草、大花延齢草などがいたるところで咲いていたのでしょう。

万葉集の日記なのですが、これで終わりですか)

(終わりなの)

加筆訂正(2014年7月5日):「名のわからない蝶」を「貴重種ウラナミアカシジミ」に。

(2014年7月7日):「モンシロチョウ」を「スジグロシロチョウ」に。

(2014年7月7日):「ウラナミアカシジミ」を「アカシジミ」に。

にほんブログ村 歴史ブログ 奈良・平安時代へ
にほんブログ村