67.万葉人の自然観(2):衣替え:持統天皇のお歌
衣替えは、季節の変わり目に衣服を替えることをいうのだな、そして広義には箪笥などの収納場所の衣服交替をも含めるのでしょう。
本州では、毎年6月と10月に衣替えが行われることが多いのでしょうか。
北海道に住む爺の私は、冬季を意識して衣替えします。
おおよそ毎年4月と11月でしょうか。
中学と高校のころは制服で、制服の着用は強制的に変えねばならなかったと記憶しています。
衣替えは衣更え、更衣とも表記されるようです。
四季区分のはっきりしている日本特有の習慣でしょうか。
特有の習慣とすると衣更えは、「美しい日本語辞典」に掲載されるべき言葉と思うのです。
残念ながら掲載されていません。
日本特有の習慣でないのかもしれません。
残したい美しい日本語と思うのですが。
小学館辞典編集部の皆様、ご検討のほど。
衣更えの習慣は、平安時代の宮中行事から始まったとされるようですが。
「春過ぎて夏来(きた)るらし白妙の衣乾したり天の香具山」
(春が過ぎて夏がやってきたらしい。あの天の香具山に真っ白な衣が干してあるのを見ると)
持統天皇のお歌(巻1・28)です。
他に巻1・159、160、161、162、巻3・236が、お歌と考えられています(略)。
多田一臣氏編の万葉集ハンドブック(1999)を以下に引用。
これは衣更えという年中行事によって季節をとらえたもので、暦の観念の定着を示す歌である。「日本書紀」の持統天皇四(690)年には、初めて元喜暦・儀鳳暦を行ったと、見える。これ以前にも暦は存在したであろうが、持統朝にその制度を充実させたらしいことを示す記事である。律令制による高度な国家運営の段階に至って、暦の重要度が増したのであろう。そして季節という観念は暦の浸透とともに成熟していったのであろう。
また、新潮日本古典集成「万葉集一」によりますと、
中国的暦法から学んだ四季の変化を詠んだ歌。天下った神聖な香具山の風物に見られる変化によって、夏の到来を確信している。
同じく「万葉集三」には、
「ひさかたの 天の香具山 この夕 霞たなびく 春立つらしも」(巻10・1812)(天の香具山に、今夕は、霞がたなびいている。もう春になったらしい)
大和の中心をなす聖なる山に見た現象に基づいて、春の到来を確かなものとして推定した歌。巻10の冒頭歌。この歌以下七首は、三輪山付近での国見歌らしいです。(中略)春立つ:中国伝来の暦の立春を意識した言葉か。
なお、香具山は、浄見原と藤原宮からの姿が美しいらしい。
このように衣更えの習慣は、飛鳥(万葉)時代までさかのぼることができるのでしょう。
なお、三浦氏の下記の本は、律令制との人々のかかわりを文学の中に読み解く画期的な本です。
「万葉集」と「日本霊異記」では描かれる家族のありようが大きく異なる。8世紀に成立した律令制が「子を育ていつくしむ母」を「子を顧みない母」に変えた。人間を個体として認識するようになると親子関係も夫婦関係も変化してきて、母に高利で貸し付ける子、与えた乳の代価を要求する母など、前時代には思いもかけなかった家族関係が生じてきた。今から1300年前に生まれた家族関係のゆがみを文学の中に読み解く画期的な試み(裏表紙に小さな文字で記載)
縄文時代まではさかのぼれないのだろうか。
温暖な気候や寒冷な気候が交互に到来しているのですが、現在のような四季区分の気候であったとするなら、縄文びとも衣替えしていたのではないかと思うのです。冬は豪華な毛皮を纏っていたかも。