万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

39.詠まれている花(5)さふじゅ(双樹)そうりん(双林):夏椿

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撮影の日:2007年7月4日

撮影の地:百合が原公園内日本庭園

参考にした本三冊の表紙

 

夏椿はツバキ科ナツツバキ属の木花で、北海道には自生していません。

福島より南から、四国、九州の山中に自生し、庭木としても植えられているとのこと。

初めて日本庭園で見たときは驚きました。

でも、他にもお庭に植えておられる方がいるのではないかと今は思っています。

集中にただ一首詠まれているようです(訂正:二首に、追記参照)。

ただ、歌にではなく、山上憶良の(巻五・八九七;長歌;長一首短六首の長一首)の前文(序文)に登場するのです。

憶良が大唐大使卿(遣唐使丹比広成)にあてて「沈痾自哀文」と題して記述した中の、俗道悲嘆の詩にです。

「・・・独り存へて、遂に世の終わりを見る者あることを聞かず。所以維摩大士も玉体を方丈に疾ましめ、釈迦能仁も金容を双樹に掩ひたまへり。・・・」

(・・・独り長生きをしてきたが、世の終わりを見た人がいるとは聞いたことがない。ゆいまだいしもからだを一丈四方の居室内で病の床にふせ、釈迦如来も尊い姿をシャラノキの花で掩われました。・・・)

シャラノキ(沙羅の木・双樹)は、インド国内に多い熱帯樹の高木です。

日本国内では育たないことから、古くから夏椿が代わりの木とされてきました。

文では病に悩む憶良の心境が仏教の理を得て切々と詠まれたものであるようです。

「・・・初めて重病にかかってから、もう年月も久しい(十余年もたっていること)。今年七十四歳で、頭髪はすでに白きをまじえ、体力は衰えている。・・・」

この時代の人の病に対する見方が記載されていて興味を引きました。

「・・・「病気は口から入って来る。そこでりっぱ人間は飲食を節制する。」という。・・・人が病気にかかるのは必ずしも妖気によるのではない。・・・」

「沈痾自哀文」は、非常に長い文です。

痾は重病、沈痾は重病に沈むこと。哀は死者をいたむ文の形式。自ら哀悼の意を込めた文。

仏教の理については、よくわからないので、興味の持たれた方は「沈痾自哀文」を一読を。

詠まれている花ではなく、万葉集に登場する花でしょうか。

いや、「沈痾自哀文」も歌とするならやはり詠まれている花でしょう。

で、詠まれている花としました。

追記と訂正:平成二十四年八月十八日

万葉植物の双林(そうりん)は、沙羅双樹の木ですが、前述したように日本では生育できず、日本では夏椿が代わりの木とされてきました。

で、双林が大伴旅人の歌(巻五・七九三)の後書文(長文)の中にあります。

「・・・釈迦能仁は双林にいまして、泥洹(ないおに)の苦しびを免れたまふことなし・・・」

再追記:平成二十四年八月十八日

歌人がというより、万葉人が夏椿は沙羅双樹ではないことを知っていたのではないかと思うのです。

 いつのころから沙羅双樹の代わりとして夏椿をシャラノキ、サラ、サラソウジュなどと呼ぶようになったのだろう。

再々追記:平成二十四年八月十九日

夏椿は、昔、沙羅樹・沙羅双樹と呼ばれていたことが「大和本草」(貝原益軒著)に図を掲げて記載されているとのことです。

旅人と憶良の歌は、どちらも雑歌です。

今回、万葉集の花に関する手持ちの本を参照したのですが、夏椿に関して記載してない本も多く、三冊が集中ただ一首と記載していたのです。

でも、いづれの本も夏椿が沙羅双樹の代わりとしていました。

で、最初、集中ただ一首として記載したのです。

ふと、万葉集の花に関して同じ著書の本を二冊最近購入し、そのうち一冊を読み終えていて、それには夏椿について記載していないと思い出しました。

そして、読んでいなかったもう一冊を開くとなんと集中二首とありました。

それで、最初と異なり、集中二首で書き直しました。

少しあわてました。

 

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