万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

489.巻五・俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の五)

俗道の仮合即離し、去りやすく留めかたきことを悲嘆しぶる詩一首あわせて序(五の五)の訳文 「現世の生死の変転は目ばたくほどの短さであるし、人間の一生の生活は臂(ひじ)を伸ばすほどの短さである。まさに浮雲とともに空しく大空を漂う思いで、心も力も…

488.巻五・俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の四)

俗道の仮合即離し、去りやすく留めかたきことを悲嘆しぶる詩一首あわせて序(五の四)の訳文 「仏典には「黒闇天女が後から追いすがることを嫌うなら、功徳大天の先立って訪れることを受け入れぬがよい」とある<徳天は生をいい、黒闇は死をいう>。 かくし…

487.巻五・俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の三)

俗道の仮合即離し、去りやすく留めかたきことを悲嘆しぶる詩一首あわせて序(五の三)の訳文 「先の代の聖人もとっくに死んだし、後に続いた賢人もまた留まってはいない。もし金を出して死から逃れうるならば、古人の誰しもがそのための金を用意しただろう。…

486.巻五・俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の二)

俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の二)の訳文 「ただし、この世には恒久不変の本質をもつものはない、だから丘が谷になったりする。また人生には一定不変の期限ははない。…

485.巻五・俗道(ぞくどう)の仮合即離(けがふそくり)し、去りやすく留めかたきことを悲嘆(かな)しぶる詩一首あわせて序(五の一)

最初に序の訳文を記載します。長い序ですので、五つに分けて記載します。 俗道:世の中の在り方 仮合即離:人体を仮に構成している四要素、地水火風がすぐ離れ離れになってしまうこと。 俗道の仮合即離し、去りやすく留めかたきことを悲嘆しぶる詩一首あわせ…

484.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の八)

沈痾自哀文(八の八)の訳文 「そもそも生きとし生ける者、悉く限りある身でありながら、なべて窮まり無き命を追い求めぬ者はない。こういうわけで、道士や方士たちが自ら丹経を背負って名山に入り薬を調合するのは、命を培い心を楽しませて長生を求めるため…

483.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の七)

沈痾自哀文(八の七)の訳文 「改めて思うに、人は賢愚の別なく、世は古今の別なく、悉くが死を悲嘆する。歳月は先を争って流れ去り、昼も夜も休むことがないし<曾子は「過ぎ去って帰らぬものは年」と言っている。孔子の臨川の嘆きもまたこのことなのである…

482.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の六)

沈痾自哀文(八の六)の訳文 「帛公略説(はくこうりゃくせつ)に「伏して思い自ら励ますのは長生をしようがためである。生は貪り願うべきだし、死は恐れるべきだ」とある。天地の最大の福徳を生という。だから、死んだ人間は生きている鼠にも及ばない。たと…

481.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の五)

沈痾自哀文(八の五)の訳文 「<志恠記(しかいき)に 「広平の前太守、北海の人徐玄方の娘が年十八で死んだ。その霊が馮馬子(ひょうまし)という若者に「限たところ、八十余歳の天寿になっている。それなのに早々と悪魔に殺されて四年を経た」と言った。…

480.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の四)

沈痾自哀文(八の四)の訳文 「生命力が尽き果ててその天寿を全うした者でさえ、なおかつ死は悲しいものである<聖人や賢者をはじめとして一切の命あるもの、誰がこの宿命から逃れえようか>。まして、いまだ天寿の半ばに及び」もしないのに、悪魔にあたら命…

479.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の三)

沈痾自哀文(八の三)の訳文 「私は、身はもはや俗事に深入りしているばかりか、心も俗塵になずんでいるので、禍いの潜んでいる所や祟りの隠れている所を知ろうと思い、占師の門や祈禱師の室(へや)をすべて訪れた。たとえ効果があるにしろ、またないにしろ…

478.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の二)

沈痾自哀文(八の二)の訳文 「はじめて病気にかかってからじりじりと年月が重なった<十余年を経たことをいう>。今や年七十四。鬢(びん)も髪も白髪が混じり、筋肉も痩せ力も衰えてしまった。単に年老いたばかりか、さらにこんな病気を加える身となった。…

477.巻五・沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)山上憶良(八の一)

(八の一):長文ですの八分割しました。なお、歌ではないので、書き下し文は省略します。 沈痾自哀文:病いに沈み自ら悲しむ文。後の「俗道・・・」の漢詩文、「老身に・・・」の倭歌と三部作をなす。 訳文 「ひそかに思うに、朝夕山野で狩をして食べている…

476.巻五・894~896:好去好来(かうきょかうらい)の歌一首反歌二首

好去好来:無事に行き無事に帰ることを祈る歌。 894番歌 訳文 「神代の昔から言い伝えて来たことがある、この大和の国は皇祖の神の御霊(みたま)の尊厳な国、言霊が幸をもたらす国と、語り継ぎ言い継いで来た。このことは今の世の人も悉く目(ま)のあたり…

475.巻五・892・893:貧窮問答(びんぐうもんだふ)の歌一首あわせて短歌

貧者と窮者の対話。貧窮に関する問答ともいう。 892番歌 訳文 「風に混じって雨の降る夜、その雨に混じって雪の降る夜は、寒くて仕方がないので、堅塩をかじったり糟汁をすすったりして、しきりに咳きこみ鼻をぐずぐず鳴らし、ろくすっぽありもしないひげを…

474.巻五・886~891:熊疑のためにその志を述ぶる歌に敬和する六首併せて序 筑前国司山上憶良(三の三:887~891番歌)

886~891番歌は、山上憶良が熊疑になりきって詠んだ歌です。 887番歌 訳文 「母上の顔を見ることもできないで、暗い暗い心のまま、私はいったいどちらを向いてお別れして行くというのか」 書き下し文 「たらちしの 母が目見ずて おほほしく いづち向きてか …

473.巻五・886~891:熊疑のためにその志を述ぶる歌に敬和する六首併せて序 筑前国司山上憶良(三の二:886番歌)

886番歌 訳文 「都に上るとていとしい母の手を離れ、見たこともない他国の奥へ奥へと、山また山を越えて通り過ぎ、いつになったら都に行けるかと思いながら、よるとさわるとそのことを話題にしたが、我が身が大儀で仕方がないので、道の曲がり角に、草を手折…

472.巻五・886~891:熊疑のためにその志を述ぶる歌に敬和する六首併せて序 筑前国司山上憶良(三の一:序)

序の訳文 「大伴君熊疑は、肥後の国益城(ましき)の郡(こおり)の人である。年十八歳、天平三年の六月十七日に、相撲の部領使(ことりづかい)の国司官位姓名某(なにがし)の従者となり、奈良の都に向かった。しかし天運に恵まれず、苦しい旅道の半ばで病…

471.巻五・884・885:大伴君熊疑(おおとものきみくまごり)が歌二首 大典麻田陽春作

大伴君熊疑:次回記載予定の憶良作の序に説明があります。 大典:大宰府の文書を掌る官。826番歌参照。 麻田陽春:569~570番にも歌があります。 884番歌 訳文 「故郷を遠く離れた長い道中なのに、こんな所で、心も暗く今日この命を終えなければならないのか…

470.巻五・883:三島王(みしまのおほきみ)、後に松浦佐用姫の歌に追和する一首

三島王:舎人皇子の子、淳仁天皇の弟。 追和:帰京した旅人から871~875番歌を披露されて和したものか。この歌で旅人中心的な姿勢を示す巻五前半が終わり、次歌から憶良中心的な後半となる。 883番歌 訳文 「噂に聞いて目にはまだ見たことがない。佐用姫が領…

469.巻五・880~882:敢えて私懐(しくわい)を布(の)ぶる歌三首

敢えて:思い切って個人的な気持ちを述べる歌。「私懐」は、ここでは都への召還にたいする懇願をいう。 880番歌 訳文 「遠い田舎に五年も住みつづけて、私は都の風俗をすっかり忘れてしまった」 書き下し文 「天離(あまざか)る 鄙(ひな)に五年(いつとせ…

468.巻五・876~879:書殿にして餞酒する日の倭歌四首

書殿:図書や文書を置く座敷、ここは筑前国守憶良公館の座敷か 餞酒:ここは旅人送別の宴 倭歌:漢詩に対する日本の歌の意。天平初年には「倭」や「日本」を「大和」「和」と記した例はまだ見当たらない。 876番歌 訳文 「空を飛ぶ鳥ででもありたいものだ。…

467.巻五・874・875:最最後人の追和二首

最最後人:廻り持ちで詠まれた871~873番歌が最最後人に廻され、そこで閉じられる。「最最後人」は憶良と思われ、以下882番歌まで憶良の作と認められる。この部分に限って、題詞に歌の数が明記されている。 874番歌 訳文 「海原の沖を遠ざかって行く船に、戻…

466.巻五・873:最後人の追和

最後人:旅人と見る説もあるが、前歌の「後人」とは別の某別人で、やはり大宰府官人であろう。 873番歌 訳文 「万代の後までも語りつづけよとて、この山の嶺で領巾(ひれ)を振ったものらしい。松浦佐用姫は」 書き下し文 「万代(よろづよ)に 語り継げとし…

465.巻五・872:後人の追和

後人:旅人をさすという説もあるが、別人であろう。大宰府の官人か。 872番歌 訳文 「後の世の人も山の名として言いつづけよというつもりで、佐用姫はこの山の上で領巾を振ったのであろうか」 書き下し文 「山の名と 言ひ継げとかも 佐用姫が この山の上(へ…

464. 巻五・871

前文の訳文 「大伴佐堤比古郎子は、特に朝廷の命を受けて、御国の守り、任那に使いすることになった。船装いをして出発し、次第次第に青波の上を進んで行った。 ここに、妾(つま)の松浦佐用姫は、今忽ちにして別れ、いつまた逢えるかも知れぬことを深く嘆…

463.巻五・868~870:天平二年七月十一日 筑前国司山上憶良 謹上

訳文 「憶良が、誠惶頓首(せいくわとんしゅ) 謹んで申し上げます。 憶良が聞くところでは、「漢土では、昔から王侯をはじめ郡県の長官たるものは、ともに法典の定めに従って管内を巡行し、その風俗を観察する」ということであります。 それにつけても、こ…

462.巻五・866・867:君を思ふこと尽きずして、重ねて題す二首

君を:和だけでは思いやまずに歌った一連の纏め。 866番歌 訳文 「遠く遥かに思いやられます。白雲が幾重にも隔てている筑紫の国は」 書き下し文 「はろはろに 思ほゆるかも 白雲の 千重(ちへ)に隔てる 筑紫の国は」 867番歌 訳文 「あなたの旅は随分日数…

461.巻五・865:松浦(しょうほ)の仙媛の歌に和ふる一首

865番歌 訳文 「あなたをお待ちしている松浦の浦の娘子たちは、常世の国の海人の娘なのでしょうか」 書き下し文 「君を待つ 松浦の浦の 娘子らは 常世の国の 海人娘子かも」 旅人から送られた853~863番歌に和したもの。 唐招提寺の画像の続きです。 では、…

460.巻五・864:諸人の梅花の歌に和へ奉る一首

864番歌 訳文 「宴に加わることもできないでずっとお慕い申してなどおらずに、いっそのこと、あなたのお庭の梅の花にでもなった方がましです」 書き下し文 「後れ居て 長恋せずは 御園生の 梅の花にも ならましものを」 864番歌以下四首、吉田宜作。 旅人か…