万葉集の日記

楽しく学んだことの忘備録

519.巻六・973・974:天皇、酒を節度使の卿等に賜ふ御歌一首あわせて短歌

天皇:すめらみこと、四十五代聖武天皇。 973番歌 訳文 「わが治め給う国の遠く離れた政庁に、そなたたちがこうして出かけて行ったなら、私は心安らかに遊んでいられよう。ゆったり腕組みしておいでになれよう。天皇である私の尊い御手で、髪を撫でてねぎら…

518.巻六・971・972:四年壬申に、藤原宇合卿、西海道の節度使に遣はさゆる時に、高橋連虫麻呂が作る歌一首あわせて短歌

四年:天平四(732)年。 藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ):不比等の三男。式家の祖。 971番歌 訳文 「白雲の立つという、その龍田山の木々が冷たい霧で色づく時に、この山を越えて旅にお出かけのあなたは、幾重にも重なる山々を踏み分けて進…

517.巻六・969・970:三年辛羊に、大納言大伴卿、寧楽(なら)の家に在りて、故郷を思ふ歌二首

三年:天平三(731)年。この年秋七月二十五日、旅人は六十七歳で没した。以下病床での作。 故郷:明日香の古京。三十歳になるまで過ごした地。 969番歌 訳文 「ほんのちょっとでも出かけて行って見たいものだ。もしや神なび川の淵は浅くなってしまって、瀬…

516.巻六・967・968:大納言大伴卿が和ふる歌二首

前の965番と966番歌に和ふる歌です。 967番歌 訳文 「大和へ行く道すじの、吉備の児島を通る時には、筑紫娘子の児島のことが思い出されるであろうな」 書き出し文 「大和道の 吉備の児島を 過ぎて行かば 筑紫の児島 思ほえむかも」 「大和道」の語を承けて96…

515.巻六・965・966:冬の十二月に、大宰帥大伴卿、京に上る時に、娘子が作る歌二首

冬:天平二(730)年 大伴卿:大伴旅人 965番歌 訳文 「あなた様が並のお方であったら、別れを惜しんであれこれ思いのままに振舞いたいのですが、恐れ多いと思って、振りたい袖も振らないでじっとこらえている私なのです」 書き出し文 「おほならば かもかも…

514.巻六・963・964:冬の十一月に、大伴坂上郎女、帥の家を発ちて道に上り、

筑前(つくしのみちのくち)の国の宗像(むなかた)の郡(こほり)の名児の山を越ゆる時に作る歌一首 963番歌 訳文 「この名児山の名は、神代の昔、国造りをした大国主命と少彦名命がはじめて名付けられたのであろうが、心がなごむという、その名児山の名を…

513.巻六・962:天平二(730)年庚午に、勅して擢駿馬使大伴道足宿禰を遣はす時の歌一首

962番歌 訳文 「人里離れた奥山の岩に苔が生えて神々しいように、恐れ多くもこの私に歌をお求めになるのですね。歌らしい歌を思いつくはずもありませんのに」 書き出し文 「奥山の 岩に苔生し 畏くも 問ひたまふかも 思ひあへなくに」 葛井(ふじい)広成が…

512.巻六・957~961:冬の十一月に、大宰の官人等(たち)、香椎(かしひ)の廟(みや)を拝みまつること訖(をは)りて、

退り帰る時に、馬を香椎の浦に駐めて、おのもおのも懐(おもひ)を述べて作る歌。 957番歌:帥大伴卿が歌一首 訳文 「さあみんな、この香椎の干潟で、袖の濡れるのなどかまわずに、楽しく朝食(あさげ)の海藻を摘もう」 書き出し文 「いざ子ども 香椎の潟に…

511.巻六・956:帥大伴卿が和(こた)ふる歌一首

帥:大宰府の長官、従三位相当。 大伴卿:大伴旅人 956番歌 訳文 「あまねく天下を支配されるわが天皇のお治めになる国は、都のある大和もここ筑紫も変りはないと思っています」 書き出し文 「やすみしし 我が大君の 食(を)す国は 大和もここも 同じとぞ思…

510.巻六・955:大宰少弐石川朝臣足人が歌一首

510番歌 訳文 「奈良の都の大宮人たちが自分の家として住んでいる佐保山のあたりを懐かしんでいられますか、あなたは」 書き出し文 「さす竹の 大宮人の 家と住む 佐保の山をば 思ふやも君」 大宰帥大伴旅人に問いかけた宴歌。 さす竹の:大宮人の枕詞 引用…

509.巻六・954:膳部王(かしはでのおほきみ)が歌一首

膳部王:長屋王の子。母は草壁皇子の娘、吉備内親王。神亀元年(724)、従四位下、六年二月、父に殉じて母、兄弟とともに自尽。 954番歌 訳文 「朝は海辺で餌を漁り、夕方になると大和の方へ山を越えて行く雁が、何とも羨ましくてならない」 書き出し文 「朝…

508.巻六・950~953:五年戊辰に、難波の宮に幸す時に作る歌四首

五年:神亀五(728)年、聖武天皇の行幸。 950番歌 訳文 「天皇が境界を定めておいでになるとて、山守を置いて見張らせているという山に、私はどうしても入らずにはおかないつもりだ」 書き出し文 「大君の 境ひたまふと 山守据ゑ 守(も)るといふ山に 入ら…

507.巻六・948・949:四年丁卯(ひのとう)の春の正月に、諸王・諸臣子等に勅して、授刀寮に散禁せしむる時に作る歌一首あわせて短歌

散禁:刑罰として外出を禁じ、一所に閉じ込めること。 948番歌 訳文 「葛が一面に這い広がる春日の山は、春が来たとて、山の峡(かい)には霞がたなびき、高円では鶯が鳴いている。大勢の大宮人たちは、北へ帰る雁の来継ぐように毎日毎日、友と連れだって遊…

506.巻六・946・947:敏馬(みぬめ)の浦を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

946番歌 訳文 「淡路島にまともに向き合っている敏馬の浦の、沖の方では深海松(ふかみる)を採り、浦のあたりではなのりそを刈っている。その深海松の名のように、都に残したあの人を見たいとは思うけれど、なのりその名のように、わが名の立つのが惜しいの…

505.巻六・942~945:唐荷の島を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

942番歌 訳文 「妻に逢えないまま、手枕も交さず、桜皮(かにわ)を巻いて作った船の舷(ふなばた)に櫂を通して漕いで来るうちに、淡路の野島も過ぎ、印南都麻(いなみつま)や唐荷の島の、島の間からわが家の方を見やると、そちらに見える青山のどのあたり…

504.巻六・938~941:山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

938番歌 訳文 「あまねく天下を支配されるわが天皇が、神として高々と宮殿をお造りになっている印南野の邑美(おうみ)の原の藤井の浦に、鮪(しび)を釣ろうとして海人の舟が入り乱れ、塩を焼こうとして人が大勢浜に出ている。浦がよいので釣をするのももっ…

503.巻六・935~937:三年丙寅の秋の九月の十五日に、播磨の国の印南野に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌

聖武天皇の行幸の時の歌。 935番歌 訳文 「名寸隅(なきすみ)の舟着場から見える淡路島の松帆の浦に、朝凪には玉藻を刈ったり、夕凪には藻塩を焼いたりしている美しい海人の娘たちいるとは聞くが、その娘たちを見に行くてだてがないので、ますらおの雄々し…

502.巻六・933・934:山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

933番歌 訳文 「天地が永遠であるように、日月が長久であるように、難波の宮でわが天皇はとこしえに国をお治めになるらしい。御食(みけ)つ国の日ごとの貢物として、淡路の野島の海人たちが、沖の岩礁に潜って鰒玉(あわびたま)をたくさんに採り出し、舟を…

501.巻六・931・932:車持朝臣千年が作る歌一首あわせて短歌

931番歌 訳文 「浜辺が清らかなので、しなやかに生い茂っている玉藻に、朝凪にも千重に重なる波が寄せ、夕凪にも五百重(いおえ)に重なる波が寄せる。この岸の波がしきりに寄せるように、月ごと日ごとに見ても飽きるものか。まして今だけで見飽きることなど…

500.928~930:冬の十月に、難波の宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌

冬:神亀二年(725)の十月。 難波:大阪城南方の台地、法円坂町付近にあった。 928番歌 訳文 「難波の国は葦垣に囲まれた古びた里に過ぎないと、長らく人々は心にもかけず、ゆかりもない地と見てきたが、天皇は長柄の宮に太く高い真木の柱をどっかと打ち立…

499.926・927

926番歌 訳文 「安らかに天下を支配されるわが天皇は、吉野の秋津の小野の、野の上には跡見(あとみ)を配置し、山には射目(いめ)を一面に設け、朝(あした)の狩に鹿や猪を追い立て、夕の狩に鳥を飛び立たせ、馬を並べて狩場にお出ましになる。春の草深い…

498.巻六・923~925:山部宿禰赤人が作る歌二首あわせて短歌(一首あわせて短歌の間違いではないかな)

923番歌 訳文 「あまねく天下を支配されるわが天皇が高々とお造りになった吉野の宮は、幾重にも重なる青い垣のような山々に囲まれ、川の流れの清らかな河内である。春のころは山に花が枝もたわわに咲き乱れ、秋ともなれば川面一面に霧が立ちわたる。その山の…

497.巻六・920~922:神亀二年乙牛の夏の五月に、吉野の離宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌

920番歌 訳文 「み山全体をさやかに響かせてほとばしり落ちる吉野川の、川の瀬の清らかなありさまを見ると、上流では千鳥がしきりに鳴く。下流では河鹿が妻を呼ぶ。天皇にお仕えする大宮人もあちこちにいっぱい往き来しているので、見るたびにむしょうに心引…

496.巻六・917~919:神亀元年甲子の冬の十月の五日に、紀伊の国に幸(いでま)す時に、山部宿禰赤人が作る歌一首あわせて短歌

724年の聖武天皇の行幸。 917番歌 訳文 「安らかに天下を支配されるわが天皇の、とこしえに変わらぬ離宮としてお仕え申し上げている雑賀野(さいかの)に向き合って見える沖の島、その島の清らかな渚に、風が吹くたびに爽快な白波が立ち騒ぎ、潮が引くたびに…

495.巻六・913~916:車持朝臣千年が作る歌一首あわせて短歌

913番歌 訳文 「むしょうに心引かれつつ、噂にばかり聞いていた吉野の、真木の茂り立つ山の上から見下ろすと、川の瀬川の瀬に、夜が明けそめると朝霧が立ちのぼり、夕方になると河鹿が鳴く、それにつけても、あの方を都に残した旅先のこと故、私独りで清らか…

494.巻六・907~912:養老七年癸亥の夏の離宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌(二の二)

反歌 908番歌 訳文 「毎年毎年こうして見たいものだ。ここ吉野の清らかな河内の渦巻き流れる白波を」 書き出し文 「年のはに かくも見てしか み吉野の 清き河内の たぎつ白波」 909番歌 訳文 「山が高いので、白木綿花(しらゆうばな)となってほとばしり落…

493.巻六・907~912:養老七年癸亥の夏の離宮に幸す時に、笠朝臣金村が作る歌一首あわせて短歌(二の一)

万葉集 巻第六 雑歌(公的な場で披露されたさまざまな歌をいう) 二の一 元正天皇の行幸で、奈良県吉野の宮滝付近にあった離宮に。 907番歌 訳文 「滝の上の三船の山に生き生きとした枝をさしのべて生い茂っている栂(とが)の木、 そのとがという名のように…

492.巻五・904~906:男子名は古日に恋ふる歌三首 長一首 短二首

男子名:署名はないが、憶良帰京後の作と認められている。ただし、巻五に本来あった歌ではなく、後人が追補したものらしい。 古日:長歌に幼い「我が子古日」と歌われているが、七十を超えた憶良の子にしては年少にすぎる。幼児を失った知人になりきって詠ん…

491.巻五・897~903:老身に病を重ね、経年辛苦し、さらに児等を思ふ歌七首長一首短六首(二の二)

反歌 898番歌 訳文 「気の紛れることはいっこうになくて、雲の彼方に隠れて鳴いて行く鳥のように、泣けて泣けて仕方がない」 書き出し文 「慰むる 心はなしに 雲隠り 鳴き行く鳥の 音のみし泣かゆ」 長歌の末尾を承けて、やや細かく述べている。 899番歌 訳…

490.巻五・897~903:老身に病を重ね、経年辛苦し、さらに児等を思ふ歌七首長一首短六首(二の一)

897番歌 訳文 「この世に生きてある限りは<仏典には人間界に住む人の寿命は百二十年だという>無事平穏でありたいのに、障碍(しょうがい)も不幸もなく過ごしたいのに、世の中の憂鬱で辛いことには、ひどく重い馬荷に上荷をどさりと重ね載せるという諺のよ…